Alternative Issue

個人的な思考実験の、更に下書き的な場所です。 自分自身で消化し切れていないことも書いています。 組織や職業上の立場を反映したものでは一切ありません。

宗教的コマース

その方法論やごり押しはあるとしても、現実にAKB48や韓流が芸能界の話題を席巻し、関連の売り上げは大きいのだとわかる。しかし、同時にネット社会の広がりは違法ダウンロード問題などと絡み合いながらも、音楽関連の売り上げ減少は問題となっている。
ところがアデルのCDは1500万枚も売れているという事実もあって、良いと思うものに対する支出が惜しまれているわけではない。これをもって、音楽セールスの衰退は違法ダウンロード問題が決定的な要因ではないとする論調も少なくない。

では、なぜCDなどの売り上げが減少したのか。これはCD以外のダウンロード販売がその替わりとして増えてきたという点がある。少し古いデータではあるが、次のHPにその状況がまとめられている(Garbagenews.com:http://www.gamenews.ne.jp/archives/2009/01/cd_7.html)。ところが、ミリオンセラーについては減少が著しい(日本レコード協会http://www.riaj.or.jp/data/others/million_q.html)。
実は、数年前の日本の音楽市場全体を見れば売上高は微妙に減っているとはいえどほぼ横ばいというのが実際である(P2Pとかその辺のお話@はてなhttp://d.hatena.ne.jp/heatwave_p2p/20110303/p1)。その上で、音楽販売コンテンツの割合はCDなどのパッケージ販売の割合は思いの外少ない(onluck.biz:http://onluckbiz.blog133.fc2.com/blog-entry-14.html)。なんと、音楽売り上げのうちで最も大きな割合を占めているのはカラオケによる売り上げである(44.3%)。パッケージ販売(CD、カセットテープ、DVD、レンタルからの収益)は33.8%とカラオケに大きく負けている。

ところが、アメリカでは既に日本より早く音楽市場全体が衰退に向かいつつあると予想されている(Garbagenews.com:http://www.garbagenews.net/archives/792759.html)。このことから、日本もその後を追いかける可能性は低くない。CDの売り上げが減っていくのはある意味自然な現象であって、減ったことが全てまずいと騒ぎ立てるような状況にあるわけではないようだ。

さて、どちらにしても急激な市場拡大が目指せないと言うことは、音楽市場というものが基本的に飽和状態になるということなのであろう。その上で、人口減少が進み不景気が続くことで消費者の支出が絞られれば、売り上げがトータルで下がるのはある意味当然の帰結であろう。
その上、音楽も数多くあるコンテンツの一つだと考えるならば、ネットの普及により人々が触れらルコンテンツが増加している現在、これまでのままの販売方法でシェアを維持できると考える方がおかしい。コンテンツの種類が増えると言うことは情報が拡散することであって、人々は表面的に数多くのコンテンツに触れることを最初に望む。
すなわち、一義的には情報アクセスの容易さは消費の多様性を促し、メガヒットを生み出しにくくする。これがミリオンセラーの現象の一因だろう。少し前に比べても選択肢が格段に広がっているのだから。
そして、同時に選択肢が広がると言うことは幅広い人のニーズに対応していると言えるものの、数多くのコンテンツが必要となるため平均的なレベルが下がると言うこともある。これにより、音楽とは別のジャンルに人々が新たな何かを求めて移動することも考えられる。

このように拡散してしまった興味を収束させるために用いられているのが、AKBなどにも見られる一種宗教的な販売方法であろうと感じている。宗教的なというのは言い過ぎかもしれないが、共同体的な身近さを演出することで人数は多くないけど強いファンを獲得しようという戦略を前面に押し出したものである。
これまでの音楽販売は原則として広く浅くであった。それはコンテンツが乏しい時代に先んじて良いものを提供することで人々がそこに集中する仕組みである。一種の渇望が多くの受け手にある時代背景ため、それを満たすことで巨大な成功を収められるというものだ。戦後三種の神器と呼ばれた電化製品などが大きく売れたのと同じ方法だろう。
ところが、現代は情報に満腹気味なのが消費者である。満腹の消費者の前に一度限りの美味しいステーキをいくら提示してもその時には容易に食いつきはしない。それよりは他との差別化を明確に図ることでシンパシーを感じるもののみを強く惹きつける方法、そして少しずつでも良いからずっと付き合って貰うように誘導する戦略が取られている。そこに必要なのは、手の届かない憧れではなく手の届く距離、あるいは自分の記憶にあるような思い出に近い存在。そして、そこに参加するという共同体意識の構築である。情報の氾濫によりオリジナリティを確立することに困難を感じる時代に、そのオリジナリティをパッケージで提供し、その感性に近い人たちを安心させる存在が提供されている。

実を言えば韓流も似た構造に基づいているように思っている。懐かしいアイドルグループのイメージ。過去を繰り返すことを嫌うアーチストではなく過去を思い起こさせる(ように感じられる)存在。もちろん一定のクオリティは維持している。人々は物質的には一定以上満ち足りているからこそ、差別化を図りながら安心できる存在に寄り添いたいという別の意味の渇望を抱く時代だからこそ、それに対応した商品が売れるというわけだ。

今の時代、万人受けするものよりは一部に強く支持される商品を数多く作り出していくという方法が社会に望まれているように感じている。そして、その際には商品の提供しっぱなしではなくその商品に自ら関わっていく(とまるで錯覚させる)フォローが必要になる。共同体の意識は、バッシングを受ければ受けるほど強まって団結するものである。
要するに宗教的な方法論がそれに近い。特に巨大宗教ではなく身近なそれが該当するであろう。

「不足による渇望ではなく、差異のなさに基づく渇望が溢れているのであろう。だから、差異を提供できるものが一部に強烈に支持される。」