Alternative Issue

個人的な思考実験の、更に下書き的な場所です。 自分自身で消化し切れていないことも書いています。 組織や職業上の立場を反映したものでは一切ありません。

技術と技能

近年の中国や韓国企業による世界市場の席巻は、日本のものづくりにおいて考えさせられる点は少なくない。現時点をもって日本のものづくりが中国や韓国に負けているなどと言うつもりはさらさら無いが、その差が大きく縮まっているのは間違いない。円高などにより日本企業が国際競争において弱い立場に置かれて事実ではあるが、全てをそのせいに押しつけしまうのは日本の将来を考えた場合に妥当なことではない。

そもそも、日本のことを技術立国と呼ぶことが多いが、私は単なる技術だけではなく技能も含めた強さがあると思っている。普段は、この技術と技能についての違いをあまり考えることは多くないが、この両者は双方共に重要であるものの、ごちゃ混ぜにしていいものではない。
まず、「技術」は「学術」により得られた知見を実際の「もの」を作る作業に適用することであることが基本として存在する。「もの」を作る手法と言い換えてもいい。
一方で、「技能」についてはその言葉から受けるイメージとしては、職人が保有する物事を上質に仕上げるための能力といったものがあり、それ自体は「技術」という概念に含まれると考えることもできる。しかし、一方で「技能」には「学術」が生かされていない経験工学であるという側面もある。それは、「技能」の伝達が文書や口頭でできるものではなく、客観性を有しないという理由による。この点については、「吉藤、熊谷:特許法概説 第13版,有斐閣,1998,p.56」の注解において「岩波小辞典 哲学」を引用する形で以下のように紹介されている。

  • 「技術と技能  普通に技術といわれるものには、知識として伝達することができる客観的なものと、個人の熟練によって到達できるものとがある。後者は俗にカンとかコツとかいわれるもので、厳密な意味の技術ではなく、技能ないし技倆というべきものに属する。いわゆるノウハウ(Know-how)は他人に知識として伝達できるものであるから、これらと異なる。」


工業技術の権利確保を目的とする法律に定められる「技術」と、私たちが一般に認識する「技術」の概念は異なっていたとしても不思議ではない。あくまで個人的な感想ではあるが「技能」にはカン、コツ以外にノウハウも含まれるように思うし、また「技術」の最も大切な部分はコツにかなり近いような気がしている。そういう意味では両者は近しい。ただ、より踏み込んだ言い方をすれば「技術」は過去から存在する「技能」に科学的・学術的な観点を加味した概念であるべきだと思うのだ。

その上で、今後の日本が本当に恐れるべきは、表面的な技術力が追いつかれることではなく、物事に取り組む姿勢や技能を高める方法などをにおいて負けることだろう。
これらは、民族性が異なるからそうそう追いつかれることなどあり得ないという意見も散見されるが、私は必ずしもそうとは思わない。ハングリーさ故に、日本に来て日本人以上に技術のみならず技能も身につける外国人は少なくない。彼らにはその技術を生かして祖国で成功するという夢があるからだ。
夢無くして技術や技能は高められない。それを日本人は忘れてはならないであろう。

日本は、技術立国であると同時に技能立国でもあることを忘れてはならない。それを経済性・合理性故におざなりにすることが恒常化すれば、その時こそ日本の没落が始まるのではないだろうか。そして、そのきっかけは教育にあるように思う。

「技術や技能の追求は、時としてガラパゴスなどと揶揄されることがある。しかし、それを畏れることは日本の存在意義を卑下することに他ならないと考える。」