Alternative Issue

個人的な思考実験の、更に下書き的な場所です。 自分自身で消化し切れていないことも書いています。 組織や職業上の立場を反映したものでは一切ありません。

言葉が軽い

民主党の小沢元代表の公判が始まっている。
状況の詳細は、書くマスコミがこぞって記事にしているのでそれを参考にすれば概ねつかめる。
私個人としての感想は、政治家小沢の社会的必要性が大きく薄れたのだなといったところである。
現在のマスコミの追求とは少々意見を異にするが、私は政治家がダーティーであっても必ずしも悪いとは思っていない。政治に金のかかる状況はおそらく今後も大きくは変わらないであろうし、ある程度の寝技すら出来ない政治家が国際政治の舞台でまともに仕事が出来るとも思わない。

クリーンが良いというイメージでマスコミははやし立てるが、政治は混濁含んだ状態であるからこそ社会を幅広くカバーできるのだと思っている。水が清すぎれば魚は住めないのである。
とは言え、ダーティーな寝業師が幅をきかせて良いかと言えばそれもまた違う。少なくともそのダーティーさは国家のために利用されなくてはならない。それを個人的な力の源泉とするのには限度があるべきだと思う(個人的なものとして使うことについても全てを否定は出来ないと思っている)。
小沢は、自民党時代から派閥と金の力を利用して力をふるってきた。もちろん一定以上の見識もあり、人を惹き付ける力のある政治家であったと思う。そうでなければ現状のような存在にはなり得なかった。
ただ、政権交代という大事業を果たした時にその大きな役目を終えた政治家ではないかと私は考える。

それは、金の問題が政権交代を果たすまではある程度大目に見られるが、それ以降は厳しく追及される可能性が高かったからである。彼の問題にされている資金が、議員の手当や正当な政治献金のみで作り出せるはずがないことは誰もが知っている。今問題なのは、それがそのように生み出されたかを正確に把握することが出来ないため、疑わしきは罰せずの可能性があるかどうかが問われているに過ぎない。
そもそも明確に説明できる資金であるならば、その源泉についてのコメントがころころ変わるはずもないし、今頃になって秘書になすりつける必要もない。仮に法的には無実であったとしても、政治家の倫理として許されるべきかは別に問われなければならない。

ところが、その答弁で「天下国家のことに集中している」などと言っているが、自らの力を蓄えることも天下国家のためであると強弁すれば出来ないことはない。正直な感想は、「本当に言葉が軽くなった」と感じた。自らを守るためにわざわざ天下国家を持ち出したのだから。
まあ、それを応援する鳩山元総理のようにもっと言葉の軽い政治家が入れ替わり立ち替わり現れるものだから、正直言えば国民は政治家の言葉など信じようとする気力さえ失せている。

私は以前から小沢議員は早期に自分の後継者を作って引退すべきだと考えてきたが、それを結局なしえなかったのは最後の権力欲が顔を出してしまったのか、それとも誰も信用できなかった故の結果なのだろうか。
小沢議員の政治スタイルの全てを肯定する気も逆に否定する気もないのだが、そのスタイルをある程度継げる人物は必要だったのではないかと思う。私はそれが彼の最後に積み残してしまったある種の罪ではないかと思う。

政治家の言葉には、二つの重要な要素がある。
一つは勢い。そしてもう一つは重みである。
「勢い」は攻めるときに用いる力であり、人に期待させるための言葉である。現状で言えば橋下大阪市長がそれに当たる。これは、攻める相手が明確でなければ用いることが出来ない。
「重み」は守るときに必要な力であり、人を安心させるに足りる言葉である。そして、それは政治家の姿勢によって言葉に重みが付加される。

これまでの自民党政権時代も決して政治家の言葉が常に重かったわけではない。ただ、それでも民主党政権のこの2年半ほどはそのレベルとは比較にならないほどに惨い。その状況に国民が慣れてしまうと言うことは、政治家が政治を無力なものに変えているという意味で罪が深い。

「言葉の軽さで言えば、マスコミの方がもっと酷いのは言うまでもない。」