Alternative Issue

個人的な思考実験の、更に下書き的な場所です。 自分自身で消化し切れていないことも書いています。 組織や職業上の立場を反映したものでは一切ありません。

他人のせい

失敗や都合の悪いことを人のせいにすることは、自己満足を得る上では好都合である。
なぜなら、自らの失敗や弱みを直視する必要が無く、それを他人に転嫁できるからである。
ただ、これも誰もが知っているように人のせいにした結果は、遠回りしつつも自らに跳ね返るものである。
自らのミスや責任を認める。それは、自分をより高みにのぼらせる上では避けては通れない事柄であるのだ。

ただ、そんな常識も実社会では通用しない。
他人に責任を押しつけることは日常茶飯事だし、自らのことを棚に上げて大きな声で他人を罪を叫び続ける方が大きな利益を得るケースも多い。特に、まるっきりの嘘ならば人のせいにすることの不当性を訴えることもできようが、少しでも微妙さが介在すると途端にそれが困難になる。
そもそも、説明を受ける第三者からすればどちらが悪いかという事実よりは、受けた損失を補償してもらえるかどうかの方が重要であって、誰がそれを負担するかは二の次である。

もちろん、取引を繰り返すときや永らく一緒に仕事を行うときには、信用の必要性が高まるためそんな無法もそうそう通じるわけではないのだが、短期の取引においては短期の損得勘定にて責任を相手に押しつけるケースは少なくない。
日本においては、人のせいにするということは道徳的には卑賤な行為とされている。私自身はいろいろな理由で必ずしもこの言葉は好きではないが、「言い訳をするな」という言葉が用いられることが少なからず存在する。これは、責任逃れをするなと言うことであるが、同時に人に責任を押しつけるなと言うことでもある。
慣習的、道徳的に、人のせいにすることは恥ずべきことであるという考え方があると言える。私は、この社会に流れる考え方が日本を現在の地位に押し上げたと思っているので、それは誇るべきことだと考えている。

ところが、世界的に言えば必ずしもそうではない。
むしろ、あること無いことを弄してでも自らに責任がないことを主張するケースの方がよく見かける。文化の違いと言えばそれまでではあるが、その違いを認識していなければ一方的に悪者にされてしまうケースは少なくないのである。これはあくまで想像であるが、奪い奪われの戦いが他民族との間で行われてきた歴史の記憶が関係しているのかもしれない。

仮にそうだとはしても、何でも日本のせいにする傾向は特に中国や韓国(もちろん北朝鮮も含む)において強い。それは、かつて発展途上においては政府への不満をそらす意味で非常に役立ってきたことだったかもしれないが、今では政府の手にも負えない怪物に成長してしまっている。
例えば、反日教育がそれにあたる。悪いことは全て日本のせい。こうした認識が特に韓国で多い。普通は、韓国レベルまで経済的にも成長してくれば、もっとバランスのとれた認識をするようになるものだと思われるが、過去に政府がついた嘘が今の政府を縛っているのであろう。
韓国の新聞自身が、なんでも人のせいにする韓国の風潮を嘆いているのがわかりやすい。(中央日報http://japanese.joins.com/article/768/146768.html?servcode=100§code=120

人のせいにするのは、そうすれば自分が短期的なメリットを受けることができるからである。だとすれば、簡単な話として人のせいにすることがメリットにならないようにすればよいと言うことにもなる。国際関係で言うならば、わがままなことを行ってきた場合に明確な意思を示せばいいだけなのだ。ところが、日本という国は国内的にはお互い様でやってきたことがあるので、その関係性を国際関係にまで当てはめてしまいがちになる。これはマスコミにおいても言えることだ。
できることならば、そこには国際的な常識をもってして対処してほしい。

「もし世界がお人好しばかりに国々であれば、おそらく世界は発展しなかっただろう。」