Alternative Issue

個人的な思考実験の、更に下書き的な場所です。 自分自身で消化し切れていないことも書いています。 組織や職業上の立場を反映したものでは一切ありません。

政治主導

民主党が政権を取って政治主導が叫ばれて久しいが、政治主導は逆に後退しているとの声は多い。
なぜ、民主党は政治主導を叫びながらそれが成し遂げられなかったのか。
もちろん、閣僚のレベルが低すぎるという点も少なからずあるであろう。
しかしながら、私はスキルが低いと言うことよりも閣僚の人間的資質が低いのだと思う。
テクニカルな部分は勉強すればある程度対応できるし、有能な側近を置けば処理可能である。

そもそも、政治主導の意味をはき違えているというのは以前からマスコミでも政権批判の対象とされてきた。
実際、我々の目から見る限り民主党政権が政治主導で何らかの方向性を打ち出せたかと言えば、そんな感覚はほとんど無い。仮にあっても、それは選挙対策のばらまきとしか見れないものばかりだと感じている。
不退転の決意で進める増税は、将来的には必要なことは認めるものの現時点で行うことの大義は見いだせない。官僚は業務立案と遂行が役割であるが故、その執行のタイミングに関するセンスを持ち合わせているとは限らない。
本来、執行のタイミングを図る役割こそ政治家に求められる部分だと私は思うのだが、民主党の政治家にはそのセンスが欠けているようである。
将来的な増税の必要性は多くの人が認めている。できるなら早く増税できた方が良い。しかし、それを今何を置いても進める必然性が私には理解できない。それは、執行のタイミングを誰も見定めていないと言うことではないか?
だとすれば、増税を不退転の決意で行ってもそれは政治主導でも何でもない。官僚が敷いたレールの上で何も判断しないという決意を示したに等しい。

では、官僚が主導すればいいのかと言えば、先ほども触れたように官僚はそもそも決断のタイミングを見定める仕事をしているわけではない。そこまで官僚に期待するとすれば、もはや政治の怠慢どころの話ではないであろう。
政治主導とは、政治家が政治家の果たすべき役割を果たせば本来自然に推し進められることなのだと思う。すなわち、現在の民主党も、過去の自民党もそれが十分できていなかった。いや、現在は全くできていないどころか、何をすべきかについても誤解しているのではないか。
政治が道やタイミングを示せなければ、官僚は自己保存本能に従い行動する。
それは官僚主導と呼べるものとも言えない。
セクショナリズムによる個々の主張を集めただけの行動であろう。
そこに国益は見えていない。

だとすれば、為すべき政治主導は官僚を自分たちのために働かせるのではなく、官僚を国のために働かせることである。
仮にそうだとすれば、政治家が政治主導や勝手な目標設定をいくら口で言っても意味がない。
自分が率先して危機にも立ち向かい、陣頭指揮を執る。
この人の言うことなら従おうと思わせる。
要するに理より情を動かさなければそれは成し得ない。

現状では、情を揺るがす(訴えられる)閣僚がどこにいるのか?
それができないからこそ、官僚機構は形式主義に陥っていく。これは機能不全が故の暴走なのだと思う。
政治主導とは、機能不全故の形式主義に陥らせないことでもある。
さて、集団を同じ方向に持ちびくにはある種のカリスマ性が必要だ。
一方で、集団を維持するにはカリスマ性はむしろ邪魔である。
カリスマ性は、場合によっては劇場型政治と言われたり、ポピュリズムとして扱われたりすることもある。
ただ、単なるポピュリズムとカリスマ性は少し似ているとしても根本的に違う。
ポピュリズムは大衆に迎合することであり、カリスマ性は大衆の方が迎合するのである。
もちろん、迎合するのが大衆ではなくて官僚であれば、政治主導は間違いなく実現するであろう。

すなわち、大きな事を為す政治家に必要なのは強い人間性なのだ。
政治主導の原点は、政治家が強い人間性を持つことであろう。
まがい物の口先だけでは役に立たないのである。

「維持を目的に政権運営をするのであれば、官僚の我田引水的な行動を批判できようか。同じ狢とはまさにこのことであろう。」