人は誰に対して最も嘘をつくか
失礼ながら、このドラマ(?)には然したる興味もない。
ただ、嘘を吐くというテーマについて興味があったのでエントリを起こしてみた。
一応、敬意を表して動画に対するリンクは残しておく。
さて、人は誰に対して最も嘘を吐くのか?
そりゃ決まっている。自分対してである。
誰に対してでもない。
しかし、自分に吐く嘘は自分自身が許容してしまっているために、嘘と気づきすらしていない(あるいは嘘と分類していないだけではないかと思うのだ)。
だから「わざと」騙されたけど許してしまう嘘も、原則として自分が自分に最も多く吐くものだ。
ところで、なぜ嘘が許せるか?いや、許せる嘘があるのだろうか。
これは自分に吐く嘘を考えてみるとわかりやすい。
まず、それが嘘であることは薄々気づいていながら、無理矢理でも知らない・気づかないフリをしている。
無意識のうちに、時間をかけて嘘が露呈した場合(あるいは嘘により迷惑を被った場合)に対する心構えが行われている。
第三者に対して嘘を見抜けなかったことを言い訳しなくても良い。
こうした状況があるからこそ、嘘が許されるのだと思う。
はっきり言えば、嘘を吐かれるという前提を既に許容している訳なのだ。
自分に吐く嘘は、その一瞬は嫌なことから逃げることができる。
その先食いできる快適さを得られる代償として嘘が許容される。
これは、他人の場合にも同様だろう。
ひょっとしたら裏切られるかもしれないと心の隅では考えながらも、それでも信じようと自分で言い聞かせる。
それは取りも直さず、相手を信じることにより得られる自己満足的な快適さを得ることを求めているのだ。
そして、だからこそ相手が結果的に嘘を吐いていたとしても、納得して許容できる余地が生まれる。
「馬鹿な子ほど可愛い」という言葉と直接関係あるかどうかはなんとも言えないが、既に嘘やミスを許容してしまった相手に対しては、人はそれを容易に許容してしまうのである。もちろん、許容できるのは心を許した相手に限られる。
その上で言えるのは、最も身近で最もミスを許せる相手。。。もちろん自分自身である。
自らに厳しい人とは、自分を律することに厳しいというのもあるだろうが、何よりも自分自身に嘘を許さないという強い態度を保有し続けることではないだろうか。
自分に対する嘘は、自分では嘘とはっきりは認識していない。
あるいは「嘘」とは言わず「誤魔化し」と呼んだりもする。
でも、何てことはない。両者に違いなどほとんど無い。
では、自分自身に嘘を吐くことはいけないことなのであろうか?
これも私は否定するつもりはない。
自分に嘘を吐いても良いと思う。自分に吐く嘘は、自分に対する労りでもある。
小さな嘘無しに生きて行くには人生は厳しすぎる。
いつも必要とは言わないが、場合と程度に応じて必要なものでもある。
ただし、問題はその事実を自らできちんと認識していることだろう。
無意識のうちにそれを繰り返せば、自分が自分に嘘を吐いていることすら忘れてしまう。
それは必ずしも良いことではない。
まずは、自分が必要とするから一時的に自分を偽ったことを認識する。
そして、必要に応じて反省すればよい。
それが、自らに嘘をつき続けることを抑制する効果的な方法になる。
「自分に対してあまり嘘を吐かないものは、他人に対してもおそらくあまり嘘を吐かない。逆に言えば、自分に対して嘘を吐き続けるものは、他人に吐く嘘も軽くなりやすい。」