Alternative Issue

個人的な思考実験の、更に下書き的な場所です。 自分自身で消化し切れていないことも書いています。 組織や職業上の立場を反映したものでは一切ありません。

官僚不信と政治不信

私は個人的には増税反対派であるが、だからといって財務省が諸悪の根源のように言うメディアに対しては少々疑問を持っている。

日本は、欧米に比べて市中に存在するお金の量が少ない。単純にお金を多くばらまいている国の通貨価値は下がる。だから円高が継続する。ここに来て、多くの識者がこのことを語るようになってきたが、それも一部の以前からお金を刷るべきだと主張してきた人たち以外は、最近変節した感は否めない。それでも、臨機応変に意見を変えられないようでは化石も同じで、そういう意味で過去に縛られている日銀や財務省が良いと言うつもりはない。

ただ、では財務省が諸悪の根源なのか?
財務省が内閣をコントロールしているのか?

確かに多少の画策はしているであろう。
しかし、財務省の本来業務は財政の均衡を図り、支出の適正化を図ることである。
会社で言えば会計担当だ。しかも権限の強い会計担当である。
あくまで会計担当者であるから、いろいろな部門(各省庁)の言う専門的な必要性を本当の意味で理解することは容易ではない。それ故、自らの論理(常識)によって支出を振り分けることになる。

会社(政府)の収入は税金である。
だから、税金をいかに増やすかも心を配る。
景気が回復して税収が増加すれば何の問題もないのだが、景気回復そのものは現状財務省の本来業務ではない。
すなわち、財務省として自らできることは増税しかないのである。
だから、彼らは常に自分のできることをやっているに過ぎない。

でも、日本という国(あるいは会社)の舵取りを考える上では、現状における増税とはベストの選択ではなく、おそらくベターでもない(将来的には増税した方が良い時期が来る)。
これは縦割り主義という意味で、財務省にとってのベストが国全体ではベストどころかベターにもならない合成の誤謬(ごびゅう)の典型であろう。
各省庁も、個々の政策はそれを望む国民がいて、その事業を行うことが特定の分野においてはもっとも良いと考えて予算要求しているのと同じである。

各省庁がセクショナリズムを超えて、日本の国家全体を視野に入れた政策立案をすることが望ましいのはそのとおりである。しかし、こうした国の方向を考えて推し進めるのは、会社で言えば経営陣、国で言えば内閣の役割ではないのか?
だから、必要があれば自らの責任で財務省にも有無を言わせずに、方向性を示すことができる。
一部の不心得な官僚達がサボタージュを決め込むのであれば、それを断罪して明らかにすればいい。
そもそも官僚も馬鹿ではない。政治家が本気で信じてやり遂げようという気合いと「能力」を示せば、それを無下に否定などしない。
それが上手く行かないのは、官僚に能力を見せつけることも、正論で方向性を示すこともできていないからに過ぎない。

もちろん、官僚の自己保身が問題となると感じられる点は決して少なくない。
しかし、それでも彼らはまがりなりにもスペシャリストである。自らの専門についてはプライドを持っている。
それを、馬鹿だのどうだの言い放って、何をさせようというのか。
官僚は、国民に対する公僕ではあるが政治家の下僕ではない。

私は官僚は機械だと思っている。国を維持する機械である。
しかも、少々自分勝手で自己増殖的な能力を有した機械だ。
それを扱う者は、機械を馬鹿にして何ができるのだろうか?
機械の扱い方すらマスターせずに、どうしようというのか?
熟練の職人は、機械の隅々まで知り尽くしてその機能を最大限発揮できるようにする。
もちろん、それを扱うのは政治家である。

今の与党政治家は、経済やそれ以外の専門知識が極端に不足しているだけではない。
人間経験としての人心掌握能力が欠如しているものが多い。
個人としてはそれなりの実績を残してきたかもしれない。
しかし、組織のトップとしてはどうなのか?

官僚を単純に擁護することが良いとは思わない。
自己増殖ではなく、自己改革を目指して貰いたいから。
しかし、能力のないトップに引っかき回され責任だけを押しつけられる状況が続くようなら、最初から自分たちのやりたいこと(すなわち、省益と言われることもある各省なりの正義)を追求していた方がまだマシだと思うのはおかしな話ではない。

官僚不信は、政治家が機能しないが故に官僚が前に出なければならなくなった結果だろうと感じている。
増税路線も、財務省に頼る依頼心が政治家にあるという点がもっとも罪深い。
それは、いくら美辞麗句を集めても曖昧な将来像しか提示できず、具体的な手法を訴えることができない。
政治不在=官僚不信であって、官僚不信は政治家の無策・無能力のツケを押しつけているに過ぎないのではないだろうか。

政治家に必要なことは官僚さえも巻き込める力であり、それがない今の政治家の能力不足を嘆くべきなのだと感じる次第である。矜恃を示して貰いたい。

「政治士という資格を作って最低限の知識と能力を義務づけるのはどうだろう。もちろん試験資格に制限は課さないものとして。」