Alternative Issue

個人的な思考実験の、更に下書き的な場所です。 自分自身で消化し切れていないことも書いています。 組織や職業上の立場を反映したものでは一切ありません。

デジタルの進歩がもたらすアナログの復権

コンピュータを中心とするデジタルの進歩は、人々の予想を超えるレベルで進んできた。
インターネットは、今や情報発信の最も大きな媒体の一つでもある。

それは、アナログよりも手軽に入手でき、アナログよりも加工が容易で、アナログよりも保存に苦労しない。使用するに便利と言うことである。
しかし、扱いが容易であると言うことは、逆に言えば偽造、剽窃、改変が容易でもあると言うことにもなる。

人々は、便利さを手にすることで、信用性を若干損なっている。
もちろん、アナログにも偽物は蔓延している。
コピー商品などはその典型であろう。

それでも、偽物の蔓延が一定以上の広がりを経たとき、人々はアナログ回帰を一部の分野ではあるが始めるのではないかと思う。いや、今でも既にそれを始めているのではないか?

例えば、音楽。
かつてレコードであったものは、CDという媒体を経て、今や小さなデジタル記録になった。
それは、劣化することなく容易にコピーされ、手の届かないところで広がり続ける。
アーティスト達は、様々な方法で自己防衛を測っている。
コンサートを中心に据えるのもその一つ。楽曲を中心にせず、コンサートのパフォーマンスを収入源とする。
もちろん、モラルに期待する世界的な啓蒙活動は、いまだ収益確保の中心を楽曲販売とさせている。しかし、おそらく今後は今以上にその収益は減っていくだろう。
そして、アーティスト達はその収益確保をアナログ的なものに替えて行かざるを得なくなる。


例えば、写真。
今やその加工は素人ですらソフトを使えば容易に行える。
もちろん、加工ソフトの本意は現実を虚偽の存在に替えるものではない。
それでも、容易であるが故に写真の信用性は地に落ちる。

結果、フィルム写真が信用性という観点から一定の地位を得続ける。
もちろん、フィルム写真であっても加工は可能だ。
ただ、デジタル加工が容易に出来る時代において、そんな面倒なことをする人は一部のマニアに限られる。


例えば、TV。
デジタル化された動画は、販売コンテンツとしての価値を失い続ける。
法規制もあり、その縮小はゆっくりとしたものであるものの、着実に進んでいく。
アナログな、芝居はその価値を高めて行くであろう。
シルクドソレイユが価値を持ち続けるのには、もちろんそのたぐいまれなる技術が中心ではあるが、加工され得ないリアルさがやはり価値があると言うことを示している。



さて、今から20〜30年。
急速に進むとは思わないが、アナログのじわじわとした復権が始まるように思う。
それは、デジタルの利便性が捨て去ったものを再度見いだすという過程。
もちろん、アナログがデジタルを駆逐するのではない。
あくまで一定の地位を占めるに過ぎない。
ただ、行き過ぎたデジタル化にはそろそろ歯止めがかかるのではないかと思う。

「デジタルはものの存在を汎用化させた。それ故に稀少は更なる価値を得る。」