Alternative Issue

個人的な思考実験の、更に下書き的な場所です。 自分自身で消化し切れていないことも書いています。 組織や職業上の立場を反映したものでは一切ありません。

甘えという傲慢さ

鉢呂吉雄経済産業大臣が、就任9日目での辞任と相成った。
松本復興大臣の辞任も確か9日目であったと思うが、言葉の軽さがもの悲しい。

個人的感想で言わせて貰えば、「死の街」発言は経済産業大臣として一定の覚悟を持って発言したのであれば、必ずしも辞任に値する発言とは感じなかったが、その前の安易な「結果的脱原発発言」に加えてまるで小学生のような言動がとどめを刺した。
まず、原発問題の所管である経済産業大臣原発について語るのは、本来それだけ重い発言である。それにしてはあまりに軽いまるで他人事のような発言。責任感が感じられないそれは、閣僚としての資質を疑わせる。
さらに言えば、被災地の配慮という意味で国会議員としての資質さえも貶めた。

わずか数ヶ月前の松本復興大臣のそれ、その前にも柳田法務大臣の失言。
その根底に流れるのは、甘えである。
大臣になって浮かれていたとの意見も聞くが、、、大臣は浮かれられるような職責なのだろうか?
本来であればそのプレッシャーに耐えかねるくらいの立場だと私は思うのだが。

そうした、重い職責を軽んじる風潮はかつての自民党政権時代にも無かったとは言わないが、今の民主党政権においては数段多くて酷い。鳩山内閣時代もいろいろとあったが、当時はマスコミがほとんど追求をしなかったせいで辞任には至らなかった例も少なからずあった。しかし、蜜月も1年が限度(一部のマスコミはもっと寛容だが)。
さらに言えば、東日本大震災に加えて世界的な経済危機が差し迫っている現状である。
無能な閣僚を鎮座させておく余裕は、本来今の日本にはないはずである。

職責を軽んじると言うことは無知さから来るものではあるが、同時にそれは傲慢さでもある。
他にも「素人がやることがシビリアンコントロール」などと言う無知さを示した大臣もいるが、これも同様。
自分の無知を恥じるどころか、開き直っている。

政治家は政治に対する専門家である。
専門家にとっては、無知は言い訳にはならない。
無知はそれそのものが罪である。
ところが、マスコミは無知さを清潔さと偽って喧伝する。
清潔さは無知とは別問題である。
一議員であればそれが露呈することもないのだが、閣僚ともなれば全く話は変わる。

無知さを自覚もせずに開き直る政治家は、やはり傲慢なのだ。
その傲慢は、ある意味国民を舐めた「甘え」という構造に立脚している。
甘えは別の面で、自らの責任を回避して人に責任を容易に押しつける行動にも表れる。
繰り返しになるが、政治家は政治の専門家である。
閣僚は行政の一部門のトップである。
そのことを自覚すれば、甘えなど感じる余裕もないはずだ。

ままごとのような政治はそろそろやめにして貰いたい。

「政治家とはたやすい職業である。政治をしなくても名乗れるのだから。」