当たり前のことを心に響かせる
優れた小説家は、ごく日常の動作や行動であっても読者を新鮮な未知の世界のごとく感じさせる。
優れた咄家はは、ごく日常を題材にして人々を笑いの渦に引き込む。
優れた歌手は、ありふれた歌であっても聞く人を感動させる。
社会はあらゆるものがありふれた時代になった。
そこには情報も溢れ、人々は本人が経験したことないものまで疑似体験できる。
普通では知り得ない知識も、表層のみであれば易々と手に入りる。
そして、人々は一通りの浅い経験をしてしまい、世の中に飽きてきてしまった。
別の言葉で言えば、擦れた大人になった。
擬似的であれ様々な経験していることは、人々から感動を奪い、驚きを感じさせなくした。
そんな時代だからこそ、本物が生きる。
この時代、新たな感動を求めて芸人はどんどんと奇抜な行動を取る。
それが行きすぎてしまえば、あとはつまらないお涙頂戴に走るか、個人の秘密を暴く話でお茶を濁す。
しかし、本物はこんな世の中であっても人々に新鮮な驚きや感動を与える。
そのために奇をてらったりなどしない。そんな必要などはないのである。
政治の世界を見てみよう。
危機を乗り切るために本当に必要なことは、現状を冷静に把握して、必要なことを柔軟かつ着実に遂行することである。
それは、普通に見ていれば面白いことなど何もない。
誰もそんなことに心ときめかない。
だから、能力のない政治家は奇をてらうのだ。
国民の興味を引くために。
しかし、奇策はどんなに取り繕っても奇策でしかない。
奇策が全てをカバーすることなどあり得ない。
国民の支持を得るためには、注意を惹かなければならない。
それが全ていけないわけではないが、それが全てになってはいけない。
奇策は下策なのである。
一時しのぎには利用できても、大きな事を為し得る策ではない。
だとすれば、望まれるのは。。。。
当たり前のことを、国民の心に響かせる政治家。
本物の言葉を駆使できる政治家である。
腹案など必要ない。
普通のことをきちんとやる。それを国民に浸透させる。
その力が重要だと思う。
別に言葉で洗脳せよと言っているのではない。
奇策に頼らずに、言葉で勝負できる政治家。
それが必要だと思う。
「匠とは、成果の巧みのみでなく技そのものの巧みを持つ者である。」