Alternative Issue

個人的な思考実験の、更に下書き的な場所です。 自分自身で消化し切れていないことも書いています。 組織や職業上の立場を反映したものでは一切ありません。

人が人を励ますということ

こんな記事があった。
やってはいけない夫の励まし方
http://allabout.co.jp/gm/gc/377261/

これ全て駄目なら、励ます方法無いと言うことになってしまう(笑)!
要するに、相手に応じて励まし方を変えなさいってことなんだろう。

さてここでもう少し考えてみたいのだが、励ますとは一体どういうことなのか?
私達は普段からいろいろな場面で頻繁にその言葉を使う。
イメージとしては、落ち込んでいる人を元気づける。。。という感じが強い。
あるいは積極性を失ってしまった人に、再度の積極性を促す行為と言っても良いかもしれない。その場合の積極性は、行動そのものではなく心理的な積極性になるのだと思われる。

単純に励ます側と励まされる側の地位やポジションが同レベルであれば、まだわかりやすい構図かもしれない。ただ、その二者の関係に上下関係や強弱関係がある場合、問題はかなり複雑になる。励ましが見下したように感じられたり、あるいは命令的なそれになったり。。。
夫婦間でも、夫婦の関係に応じてそれがネガティブに働くことは多々ありそうだ。

本来、元気づけようとする単純な行為に過ぎない「励まし」がなぜこんなにマイナス側に働く可能性が高いのか?そう考えると意外に不思議な感じがする。

それは、励ましを受けるに至っている人の心理状態がかなりネガティブなものになっているからではないかと考えられる。だから、どのような励ましも原則として自らを苦しめる外圧として感じられるのであろう。
ネガティブな状態を抜け出すための薬としてはなかなか働かないようだ。

でも、落ち込んでいる本人がネガティブな状況を楽しんでいるわけではない。当然のことながら本人もそれから抜け出したいと考えているのが普通であろう。
だとすれば、必要な励まし方は原則として本人が望む解決策を提示する方法になる。
悩みながら、その解決策でよいかどうかを自問自答している本人の後を押してあげる。力添えをする形。
実際には、冷静な状況で見ている励ます側とすれば、本院が取ろうとしている解決方向は間違っていると感じることも多いかもしれない。ただ、だからといってその解決策を否定しても励ましにはならない。それはかえって、自尊心を失いかけている状況を促進させかねない。

だから、まずは本人が望む(であろう)解決策を後押しする。その上で、その解決策が上手く行かないことがわかっているので、微修正をして望ましい方向に変えていく。
そうした二段構えの励ましが重要なのだろう。

最初は、殻に籠もった思考を打破するための力添え。
そして続いて、それを打破すればよりよい方向へ進むための軌道修正。

もちろん、個人個人考え方も悩み方も違う。
明確な方法があるわけではないと思うのだが、それでも励ますと言うことは新たな道を進むために大きな力添えとなるだろう。
いろいろと気にしていきたいものである。

「怪我からの回復は、自らが直したいという意思を持てばより早くなる。それは心の傷の場合により顕著である。」