Alternative Issue

個人的な思考実験の、更に下書き的な場所です。 自分自身で消化し切れていないことも書いています。 組織や職業上の立場を反映したものでは一切ありません。

敗戦料理店

 「抗日」という言葉は以前からあるが、今になってかなり意味をたがえて利用され始めているようだ。もはやその言葉は日本に抵抗するという意味ではなく、現在の日本を封じ込めるために過去を利用していると言っても良い。確かに戦争は批判されるべき事柄であり、日本は今考えると正しくない(不適切な)ことをいくつもしてきた面もあると思う。
 しかし、物事を一面的に見えるべきでないのは言うまでもない。「良い面もあった」と言えば、アウシュビッツ否定のように総叩きに合いそうな雰囲気もあるが、異なる目をもってすればそれこそが言論戦の究極の目的でもある。相手方が考えることをやめ、または意見表明を躊躇するように持っていくことは非常に理にかなった戦略だ。もちろん日本としてではなく、日本を快く思わない側からの話である。
 今、言論戦として日本が仕掛けられている状況を童話風にでも喩えれば、とある敗戦料理店における「敗戦のおかわり」なのだ。

 倫理面から言えば、反省も自己抑制も非常に意味のあることである。実際、私も戦争には反対したいし、世界が平和であることを強く願っている。子供たちが戦渦に巻き込まれることが無いようにとも思う。ただ、それは状況を考えずに感情をごり押しすればよいというものではない。言い方は悪いが、特定の耳触りの良いインスタントでコンビニエンスな主義主張にはどうしても賛成できない。その実現性を疑問視するからである。
 「世界中の皆が幸せになれればいいな」と考えることは誰にだってできるが、実現させるための具体的で簡単な方策を私は思いつかない。考えてもみてほしいが、世界中から羨まれるような日本国内ですら国民が幸せではないのだ。もちろん幸せの定義が難しいことは理解しているし、それでも努力すべきことの大切さも知っている。世界の平和を維持するわかりやすく簡単な方法を教えて欲しいものだ。
 「Love&Peace」? 言いたい事は判るが、その言葉が出てからも世界中でどれだけ悲惨な事が起こってきたか。概念や理念は重要だが、それだけでは平和は構築できない。

 さて、話を戻そう。「敗戦のおかわり」は、日本に自粛あるいは萎縮の意識を植え付けることにある。もちろんそれを露骨に表現することはない。むしろ、一部の人には強く訴えかけられる美辞麗句に包まれた心地よい響きの言葉が用いられるであろう。

 「戦争反対」「話し合いによる解決を」

 まさにその通り! 繰り返しになるが私のポリシーも戦争反対であり、できる限り話し合いによる平和的な紛争解決を探って欲しいと考える。ただ、それが善意により成し遂げられると考えるほどにお花畑な人生は歩んでいない。社会における交渉事には、強く出ると良い時と、弱く出た方が良い時と、様々な形があることは誰もが知っているだろう。時と場合と場所とそして相手によりにけりなのだ。
 別に、戦争を肯定するものでも賛美するものでもない。素直に、未来の日本が豊かになり、子どもたちが幸せになるためにはどうすれば良いかを考える。そのために必死に知恵を絞らなければならない。さて、感情的に戦争反対とデモ行動することはその結果なのか?

 ここで一つ疑問がある。今、日本とトラブルを起こしている(関係が冷え込んでいる)国は3つある。北朝鮮については事情が違うので除外すると韓国と中国だ。どちらも、抗日を売り物にして共闘しつつある状況である。ぶっちゃけ言えば、現在の韓国政府も中国共産党政府にしても、第二次世界大戦では日本とまともに戦闘をしたわけではない。
 要するに、「抗日」は民族としてのイメージを掲げているのである。こうでなければならないという、歴史の塗り替えでもある。残念ながら、アメリカもその企みには裏側から加担していると言っても良い。

 では、なぜこれらの国々が日本を敵対視するのか。日本が反省していないから?いや、それは全く違う。彼らにとってはそれが都合よいからだ。都合よいのは、日本を封じ込めること。日本に国際的な悪いイメージを植え付けられることである。
 何故そんな事をしなければならないか。そこには各国の複雑な事情があり一概に言えない面もあるが、あえて簡単な言葉で表せば経済的なライバルだからである。韓国経済は認めたがらないが日本の援助を受けて発展したこともあり、経済構造は日本と非常に似ている。それ故、円高時には貿易で大きな利益を得て、円高が是正されればそれだけで沈んでいる。
 その後を取って経済繁栄を目指しているのが中国である。日本の電機産業界が白モノ家電から駆逐されて久しいが、今やそれの生産地は韓国から中国へとシフトした。もちろん時間をかけてその後東南アジアに変わってくだろう。スマホも、サムソンの凋落が目に見えてきてシャオミなどの中国企業がキャッチアップしつつある。

 一時期、日米構造協議というものがあった。その姿は今の韓国や中国と似ているが、アメリカの十八番であった製造業を日本が駆逐した。アメリカは、その後サービス業(特に金融)に産業構造を大きくシフトしたため日本との競合が減少し、結果として農業などの一部での争いが目立つ程度となった。
 もちろん、上記協議において日本企業は数量規制受け入れやアメリカへの工場進出等による現地雇用拡大など、歪の改善に一定の努力をしてきたことは言うまでもない。さて、今の韓国や中国がそんなことをしているか?
 そこで求められるのが、日本を精神的に封じ込めようという戦略である。経済面以外に政府や指導層の立場を維持するために用いているという面もあるが、そちらは他のエントリで何度も触れてきた。経済と政治は別と言いたいが、実際にはそんな事はない。経済の発展は政治に大きく依存する訳ではないが、経済のコントロールは政治に大きく依存する。

 「未来志向」という言葉も多用されるが、未来は繁栄する自国の未来であって共存は建前である。「抗日」という言葉を感情の問題と捉える限りにおいて、それを打ち消すための方策は見つからないと考える。