Alternative Issue

個人的な思考実験の、更に下書き的な場所です。 自分自身で消化し切れていないことも書いています。 組織や職業上の立場を反映したものでは一切ありません。

レベルが知れる

 イスラム国による日本人人質事件は、2億ドルという法外な身代金を日本の要求する状況で脚光を浴びた。法外な費用を要求しているということ自体が、自らの存在を示すためのパフォーマンスを主としているのは明らかだが、他方で金額交渉の余地があることも事実だと思う。
 関連する情報を見ていると、あまりにも中身のない条件反射の様な意見表明(お金を払って助けろ、政権が悪い)が多くて正直あまりの酷さに吐き気がする。もちろん捉えられているお二人が解放されて欲しいと思う心は強くあるが、それはイスラム国の言われるがままにお金を払うなんて単純な話であろうものではない。

 この件について、東京大学准教授の池内恵氏が専門家の立場からメディアや特定思想の識者の酷い反応にきちんとした説明をしているのでぜひ見ていただきたい(http://chutoislam.blog.fc2.com/blog-entry-258.html)。

 しかし、世の中にはここまで考えが巡らないにも関わらずいっぱしの知識人やジャーナリストを標榜している人がいるのだなと思うと、その虚飾が私たちの目を眩ませていることに愕然とする。こうした人たちは人質の解放を訴えながら、実のところ失敗することを心待ちにしているのだろうなと感じずにはいられない。
 とりあえず、今回の件で最も悪いのはイスラム国である。しかも、そのことが問題のほとんどを占めるという事実は絶対に変わることはない。テロに遭ったことそのものは責任を問われるものではないと思う。ただ、危険であることを知った上で当地に乗り込んだことには二人に相応の責任があると思う。別に自己責任論をここで振りかざすつもりはないが、少なくとも二人の仕事は軍事会社を名乗るものと戦場を巡るジャーナリストであることを無視はできない。
 言い方は悪いが二人とも危険を代償にお金を稼いでいる。もちろん、ジャーナリストには戦場の悲惨さを伝えるという崇高な役割があるだろうし、軍事会社も海賊やゲリラから人を守るという目的があるかもしれない。ただ、理想は理想として意味があるものであったとしても、危険を代償して糧を得る職業であることは間違いない。

 それでも二人の命が助かればよいと思う気持ちはやはり強く持っており、政府として自国民を救うためにできる最大限の努力は行ってもらいたい(繰り返すが2億ドルを支払うと言うことではない)。他方で、今回の様な地域とは全く無縁なところでも容易に命を絶つ人は少なくない。日本国内の自殺者は毎年3万人以上いるが、仮に2億ドルあればどれだけの人を助けることができるだろうか。不意のリストラで、あるいは人に騙され財産を失って、自らの責に帰さない理由で命を絶たざる得ない人がどれだけいるか。
 それを考えた時に、この問題を最優先事項の様に取り上げこれを基に宣伝戦を繰り広げることの醜悪さが私には我慢ならない。結局は全体を見ずに部分のみを取り上げ批判のための理由とする。もちろん力を持たない一市民がそれを言うことまでは問うつもりはないが、識者であったり政治家であったり、あるいはジャーナリストを名乗るものであるならば、この程度のことは瞬時に考えられなければならないと私は思う。

 頭の良さや、パフォーマンスの上手さ、あるいは意見を曲げない頑固さは、ある局面で非常に称賛されあるいは持ち上げられることもあるだろう。しかし、全体像をきちんと見ないままに自己の主張を振りかざして関係ないところに主張を押し付けるさまは、とてもではないが賢者や識者といえるような存在ではないだろう。
 まあ、あぶりだされたというのは簡単ではあるが、このような主張を吐く人たちがメディアのコメンテーターとして用いられている状況が私には悲しい。ただ、前回のエントリではないがこうした「枠」が一定数の支持を集めるという意味であるのだろうなと考えると、それもまた社会と納得するしかないのかもしれない。

 様々な考え方が披露されることを悪いとは言わないが、せめてそれなりのプライドを持っている人であればわきまえて発信してほしいと思うのだが、気にしない人だからこそメディアに出たりこうした主張を展開するのだと考えると、メディアに頻繁に登場する中には実は本物の識者などほとんどいないのだと極論を考えてしまう。
 あるいは政府に対する御用学者と同様にメディアにおける「御用識者」とでも言った方がいいのかもしれない。