Alternative Issue

個人的な思考実験の、更に下書き的な場所です。 自分自身で消化し切れていないことも書いています。 組織や職業上の立場を反映したものでは一切ありません。

当たり前

 「当たり前」の語源は、「当然」の当て字である「当前」が変化したという説と、「分け前」が一人一人に当たる量として「当たり前」になったという説があるらしい(http://gogen-allguide.com/a/atarimae.html)。
 しかし、現実の社会では当たり前のことなど世の中には一つもありやしないのに、それでも私たちは知らずのうちに当たり前を求めてしまい、あるいは反対に当たり前という巨大な壁に挑み打ちひしがれる。平均的日本人像が想像の産物であり実在しないように、当たり前と言う概念も社会全体の共有意識が生み出す幻想である。それ故に、当たり前は共有の概念であるという意識を持ちながらも個が感じ取る当たり前には微妙な違いが存在する。
 本来であれば、こうした違いが深刻な対立を招いたりあるいは差異を修正するための議論が生じても良いはずではあるが、現実社会ではそんな些細なことに時間を割いている余裕がないためか、往々にして違いは放置され許容される。現実にトラブルが生じた時には当事者間のみで際の修正はなされることもあるが、だからと言って社会に蔓延する食い違いの連鎖は何ら修正されることはない。
 もちろんこれが人間と言う存在の優れたところで、不明瞭さを許容しながらもそれを問題として認識することなく物事のバランスを図っていくことができる。そして多くの場合には自分にとって「若干」都合の良い当たり前が人の数だけ存在する。

 逆に言えば、一人一人の認識の差異が一定の許容値に収まっているのであれば、当たり前は当たり前としての役割をそれになり果たすことになる。しかし、特定の集団のみの思い込みであったりあるいは許容差を超えるほどの違いが個々の認識において存在する時、当たり前は概念としてのみ存在し社会全体としては実体を持たない。実のところ、社会を見渡した時に数多くのここに示すような形を為さない当たり前が浮遊している。特定のグループや集団のみで了承される当たり前が幅をきかせる。
 当たり前はその語源の一つとされる「当然」やあるいは「常識」とか似た言葉に移り変わりながら、必ずしも当たり前ではないことを当たり前と思わせるために利用されている。それは、流行を生み出す仕組みもそれに当たるし、定番と呼ばれるようなロングセラーを生み出すのにも用いられる。あるいは新聞などのメディアは、当たり前と言う直接的な言葉を使用する訳ではないが、さもそれが当然のごとく記事やコメントにおいて陣を張る。どうしてこんな当たり前のことが行われないのかといった具合である。

 では、考え方を変えて当たり前が一切存在しない社会を想定してみるとどうなるだろう。正直言えばこんな極端な世界を想定することにどれほどの意味があるのかを私も疑わなくはないが、おそらく何も信じることのできない荒涼とした社会の風景が想起される。要するに何も信じることができない、と言うよりは何かを判断するための土台(あるいは基準)とする指標が存在しない社会になるのではないかと思う。要するに、上記で当たり前の無意味さを説いたわけではあるが、実のところ当たり前と言う概念は必要不可欠なものでもある。
 無論、自分以外何も信じないという人生を歩むことが不可能なわけではないが、生き方としては非常に厳しく自由度が小さい。現実の世界における「当たり前」の役割は、その語源とされる内容よりはおそらくもっと曖昧で不定型な概念なのだろうと思う。それは文字通り「前」に「当たる」として、事前に軽く概要を掴みとると言った程度のことが適当なのではないかと思うのだ。
 だから、そこには厳密性は求められず私たちはそれに捉われる必要もない。言葉の立ち位置としては常識とも異なった緩さが許容されている。これは先に述べた人間としての許容力の問題もあろうが、社会活動を行う上での潤滑油的な役割を果たしているのかもしれない。

 実際にはそのように緩い使われ方をしている「当たり前」ではあるが、緩いが故の安易な使われ方として正当性を主張するための道具とされることも多い。既にふれたが、社会における当たり前は誰もがそれを想起できるほどに普遍化されなければ本来該当しないはずではあるが、本来希少であるはずのそれがあらゆるところで用いられているのである。
 日本人が当たり前と思うことでも、他の国からすれば全く異なる慣習(文化)があることは多くの人が知っているはずなのに、あたかも世界中の誰もが日本人であるような気楽さで「当たり前のこと」が喧伝される。
 私たちは当たり前なしに生きていくことは苦痛ではあるが、まやかしの当り前に飲み込まれないことを常に気をつけておかなければならない。