Alternative Issue

個人的な思考実験の、更に下書き的な場所です。 自分自身で消化し切れていないことも書いています。 組織や職業上の立場を反映したものでは一切ありません。

治世は気から

 橋下氏の人気は全国的には下降気味ではあるが、地元大阪では今でもかなり根強いものがある。数日前のことであるが、民主党の辻元議員が「今は大阪市長橋下徹氏が知事になってからこの大阪よくなりましたか?」と問いかけた。

「橋下氏は大風呂敷ばかり広げる人」民主・辻元氏(http://www.asahi.com/politics/update/0916/OSK201309150133.html

 確かにその通りである。橋下氏の登場でこれまで文句を言えなかったところに対してスカッとした人は数多くいるだろうが、だからと言って市民生活が劇的に改善されたわけではない。ただ、過去の歴史を見ても治世は何も実績のみで評価されるものではない。むしろ、多くの場合には現実的な能力よりは感情的に受け入れられるかどうかにより決まることの方が多い。どんなに能力が高くとも冷酷な人が受け入れ難いように、人が良いと言うだけで評価されるケースを私達は幾度も見てきている。
 あるいは、フレッシュであるとか清潔であるという理由で当選する議員を挙げれば枚挙にいとまがない。私達は必要な人を選択しようとしながら、実際のところはその時点で最も心地よい人を選択している。橋下氏のことを全く評価しない人も少なくないが、それ以上に彼の行動力やマスコミや一部勢力との対決を快く思っている人が多いと言うことであろう。

 繰り返し書くが、歴史的に見ても優れた為政者が常に政治を行ってきたわけではない。むしろ多くの場合は、最も有能ではないであろう政治家たちが国政や地方政治を担ってきたケースの方が多いであろう。こうした人が選出される理由は様々だが、そこには共通の雰囲気が存在する。こうした雰囲気は一時的なブームであることもあろうが、それよりもむしろ心理的な心地やすさが関係していることの方が多い。
 有体に言えば、私たちはムードに流されやすい。場合によってはこれまでの不満の噴出場所として、あるいはマスコミに踊らされた結果として、そして最悪はナチスのような酩酊感の下で。別に私は橋下氏がナチスと同じだという一部の言論に同意するつもりはないし、逆に橋下氏が有能だと無条件で信じるつもりもない。
 以前から触れているように、橋下氏は突破力に優れた政治家ではあるがやや近視眼的で、それ以上に人を見る目がない。そのため、マスコミの寵児を取り上げは離れを繰り返している。ただそれでも人々を惹き付ける力を持っていることは、現在でも大阪での支持率が大きく落ちていないことが証明している。
 これを大阪市民は見る目を持っていないというのは簡単だが、正直言えば他の候補はそれ以上に力がない。逆に言えば、理想とできるほどの優れた政治家がいたならば橋下氏を追い落とすことも不可能ではないかもしれない。

 今の価値観が多様になった時代、すべての市民や国民が支持するような絶対的に優れた政治家が現れることはまずない。ベストではなく、よりベターな政治家を選出するのが現在の状況だ。そして、ベターと感じる視点は様々である。より多くの人がベターと感じる政治家が基本的に選出される。
 そのベターと感じる感覚は、民主党が政権を取ったケースのように不満の発露や情報に踊らされて生まれることも少なくないが、長い目で見ればそれなりに正しいのだろうと思う。そして、最も重要なことはベターである政治家を如何にベストに近づけるかであり、それは橋下氏が市長になった後にこそ最も重要なことなんだと思う。
 そもそも、即効性のある政治など現代社会では基本的にありえない。それは一部に激しい痛みを引き起こすものであり、そのような施策は通常受け入れられないのだ。だから、数年で明確な結果を出すことは誰が市長であっても不可能である。むしろ、公務員改革と言う面で言えば橋下氏は過去の誰よりも結果を残しているとも言える。
 それを感じ信じている市民が多いからこそ、日本全体のブームは過ぎ去った今でも大阪や関西では一定の支持を集めているのであろう。

 治世はまず気持ちから始まるのだ。