Alternative Issue

個人的な思考実験の、更に下書き的な場所です。 自分自身で消化し切れていないことも書いています。 組織や職業上の立場を反映したものでは一切ありません。

資格の意味

 世の中は資格に溢れている。医師や弁護士などの国家資格から、様々な民間資格が覚えきれないほどの数で存在し、資格ビジネスは広告業界を席巻するほどに存在感を誇示する。資格がなければ行えない仕事も数々あるが、逆に資格があったからと言ってそれがしっかりとした収入を保証する訳でもない。資格は入口に立つことを許可するのみであり、その後を導くものでは無いことは誰もが知っていることである。
 もちろんそんなことは百も承知だと多くの人が思うだろうが、一時期は花形だった弁護士や公認会計士の中でまで食いつなぐので必死な状況があるのを聞くと、その意識と現実のギャップがどこから生まれたのだろうかと気になるところでもある。資格取得は今でも推奨されることが多いが、場合によっては資格獲得に投入した時間や資金を容易に回収することさえ覚束ないケースもあるようだ。こんなコトになるくらいなら素直にサラリーマンをしていれば良かったと考える人もいるだろうが、もちろん後悔先に立たずである。

 そもそも資格とは、取得した人の格を表すものではなく該当するサービスを受ける人に対する保証書に過ぎない。その仕事を行うのに保有していなければならない最低限の知識や経験を、資格認定機関(政府公認であったり民間であったりする)が確認しているものである。近年では更新制度が徐々にではあるが各資格にも導入されつつあり、一度取得すればあとは何もしなくても良いという状況は無くなりつつある。社会の変化や移り変わりは激しく、認定された資格とは言えどもついていけなくなる人も存在する。
 もちろん、伝統的な(通常は著名な)資格については既得権益的な面も少なくないため、更新制度が導入されていないものもあるのだが、それでも社会の流れは間違いなくこうした方向に動きつつある。すなわち、資格は権利である以上に義務としての縛りをもつことが求められている訳だ。

 そもそも資格が優位なるメリットを保有していたのは、その希少性が確保されていたからでもある。弁護士にしても医師にしても、あるいはその他の高収入が謳われていた資格(例えば弁理士など)にしても、希少性があるからこその価値であった。希少性が社会的に必要とされる理由は、先進的な資格の場合に専門性の高さなどから資格者を乱立することが国民サービスの観点で不利に働く場合であろうが、その分野が安定的けつ継続的に機能するようになれば制度的に希少性を担保する必要性は霧散する。
 医師はまだそれが担保されているようにも思うのだが、弁護士や会計士などはその資格を取り巻く状況は大きく変化した。一定数の資格者を送り出し続けた結果それが飽和点を超えたというものもあれば、社会の要請により資格者を増加させたことにより過当競争が生じたものもある。

 社会の効率性から言えば、資格者が多くなることで安価なサービスが提供されるようになれば、社会的にメリットとなると考えるところもあろうが、これまでの状況を見ている限り過当競争は業界を荒廃させる。その状況はタクシー業界の規制撤廃などでも社会問題にまで広がっている(http://www.huffingtonpost.jp/2013/08/16/taxi_n_3771401.html)。ここでも2種免許という資格が必要なわけだが、資格と言っても比較的容易な種別に入ると思われる。
 一方で、難関試験を突破したにも関わらず相応しいメリットを享受できなかったとすれば、これもまた資格の荒廃を招く危険性はある。実際に司法試験の合格者数についても見直しの議論は始まっている(http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chukyo/chukyo4/siryo/attach/1323485.htm)。

 国家資格の場合には、多くのケースにおいて関連業務の独占が認められている。一方で民間認定資格の場合には一定のスキルが認められたというブランド的な意味に限られる。業務独占がその業に携わる者の質を確保し国民に安定したサービスを提供することを目的としているのであれば、それが最も良い状況であることを常に検証し説明しなければならない。
 業務独占というメリットは上述のとおり資格保有者数が少ないという舞台があって初めて成立する。数が増えれば業務独占メリットは著しく低下する。これこそが、かつて高位とされた資格を保有しても生活に困る者が生まれている現状と兼ね合いになる。
 ただ、国が考えることは資格者の生活ではない。あくまで国民にとってどのような状況が望ましいかが全てであって、逆に言えば資格エリートの足元は崩れかけているとも言える。

 結果的にではあるが、資格取得は業務の入口にしか過ぎないことが明らかになりつつあるのは、一部に混乱が生じているということもあろうが必ずしも悪い方向ではないということだ。資格マニアを推奨するつもりはないが、それでも数の増えた資格者の中で突出するためには複数の異なる分野の資格を有するとか、あるいは当該資格者の中でも一部の専門性を非常に高めるなど、社会の中で自らのポジションを固める努力が求められるようになったのだと思う。
 世界で推し進められている貿易の自由化は、おそらくこうした資格制度にも一定の影響を与えるだろう。だが、それ以上にサラリーマンに失望した人たちが流れ込んでくる可能性も考えられる。その時、単に資格を持っているということではほとんど意味がない時代に突入するかもしれない。できれば複数の専門性を保有することでの希少性を自ら確保し、成功を目指してもらいたい。