Alternative Issue

個人的な思考実験の、更に下書き的な場所です。 自分自身で消化し切れていないことも書いています。 組織や職業上の立場を反映したものでは一切ありません。

問題なのは方法論

 確かに、ネット上の一部では中国や韓国との戦争も辞さないような過激な言葉が並んでいるが、本気でそんなことをしようとしている人間はほとんどいない。現状の日本の繁栄が平和という土台の上で構成されているのだから、至極当然のことである。ネット上の言論の過激さでいえば日本なんて非常にかわいいものであり、中国や韓国のネット言論を見ればびっくりするような過激で差別的な表現が並んでいる。
 お互い様だと言えばそれまでかもしれないが、別に日本特有の問題でないことはきちんと把握していくことが必要である。ところが、毎日新聞は現状ですら非常に気に入らないらしい(憂楽帳:戦争:http://mainichi.jp/opinion/news/20130815k0000e070189000c.html)

戦争は遠い歴史ではない。目の前の政治が生む現実だからこそ避けねばならない。今、戦争を知らない世代が想像を膨らませ、勇ましい議論を振りかざしている。どうか立ち止まって冷静さを取り戻してほしい。

 私などからすれば、ネットだから広く見えるようになっただけであって、昔から人々の口先ではいくらでも出ていた内容だと思う。もちろん、ここにきての中国や韓国の日本叩きがそれを加速させているのは事実であろうが、それがすべて日本のせいであったり日本の若者の先走りであるとは思わない。

 毎日新聞は、これまでの記事の方向性からもわかるように戦争反対であり、そのためには日本側が譲歩することを想定している。直接聞けば「誠意をもって話し合い」などと答えるであろうが、向こう側が情報する姿勢を一切見せていないのだから妥協するには日本側の譲歩しかないのは誰が見てもわかる。
 他方、毎日新聞を批判する人たちも戦争に賛成しているはずなどない。戦争を回避できるとすればそれが一番良いことは誰もが感じている。ただ、その平和を手に入れるための方法論として譲歩のみでは守りきれないと感じているに過ぎない。
 譲歩しなければ、争いになる可能性はもちろんゼロではない。しかし、譲歩したからと言って日本の権益や日本人の幸せが守られる保証もない。それこそ、事の推移を相手の良心にゆだねるような態度である。

 少し前までは、それでも中国や韓国の良心を多少なりとも期待する人は少なくなかった。ただ、ここ数年の出来事を通してそれを期待するのは間違いだと多くの人が思ったのである。
 だとすれば、言わなければならないことはきちんと言う。相手が間違っていればきちんと正す。相手が暴力に訴えかけることがないようきちんと準備を整える。それは戦争をするためのものではなく、紛争を回避しようとする努力である。
 すなわち、毎日新聞が否定しているのは戦争に至る暴力であるが、そんなものは幻想やわずかな可能性に過ぎない。しかも、その可能性は毎日新聞が言う方法を取っても大して下がるものではない。目指している方向性は同じであり、異なるのはそのための取る方法論の差なのだ。
 しかし、毎日新聞は決してそれを方法論の差だとは認めないだろう。彼らが主張するのは戦争に向かい合う態度だという方向性の違いにしなければならない。でなければ彼らの主張はその正当性を急速に失ってしまうからだ。戦略の違いであれば、現状を否定するのには詳細な分析を為さなければならないが、それを行えば自らのこれまでの主張の不確かさを自ら証明してしまう。

 曖昧なレッテル張りのまま現状を批判するのは、わざと批判内容を現状が戦争肯定だとしなければ自らの理論が持たないからである。私が主張したいのは日本の平和は他国のあるかないかわからない良心に依存するのではなく、他国が良心を発揮したくなるように状況を主体的に持っていくことである。もっとも、日本が譲歩すれば相手も譲歩するなどということがないことはここ数年でよく理解できた。だとすれば、あらゆる可能性を探りながら日本なりの平和を追い求める方法を見つけ出すべきである。現状の毎日新聞のような選択肢を限定するようなスタイルでは、それを見つけ出すことが極端に難しくなる。
 少なくとも最終的に見つけ出す平和への道のりは、今の毎日新聞が主張する方法とは異なるだろう。