Alternative Issue

個人的な思考実験の、更に下書き的な場所です。 自分自身で消化し切れていないことも書いています。 組織や職業上の立場を反映したものでは一切ありません。

今こそ楽観論を述べよ

失われた10年バブル崩壊の悲惨さや不況を嘆く声こそ多かったものの、それでも日本は世界の内で十分な地位を占めているという自信からか悲観論は今ほど大きくなかったと思う。もちろん、ネガティブなことを言う人は常にそれを言い続け、数十年に一度は見事に予想を的中させるかも知れないが、世の中のメディアや評論家は大部分が景気動向を合わせたポジショントークを繰り返す。
臨機応変と言えば聞こえはよいが、要するに経済が一定のトレンドを持っている時にはその方向の発言を繰り返しているに過ぎない。特に、日本の家電業界が惨憺たる状況に至っている現在、悲観的な予想があちこちで行われている。
ただ、悲観的に叫ばれているほど現状が悪いと悲観することが日本のためになるとは私には思えない。今は反省はしても後悔はすべき時期ではない。というか、失われた20年により私達は後悔に打ちひしがれてきたではないか。そんなことはないという人も少なからずいるだろうが、金融危機の本丸でかつ決して経済状況がよいとは言えないにもかかわらず、落ち込む欧州や前に進めない日本を尻目にアメリカはアニマルスピリッツを発揮しようとしている。
日本においても無謀は戒められなければならないが、臆病になりすぎることは立ち上がるべき時期に取る態度ではないだろう。近頃の保守層言論の台頭は、臆病さを続けてきた過去への反動であると考えても良いと思う。これを更に押さえつけることこそが、逆に暴走や暴発のエネルギーを蓄える源泉となるのではないか。

保守であろうがリベラルであろうが自国内には主張を高らかに謳えても、国際社会では様々な交渉が必要であり場合によっては妥協も余儀なくされる。世界はお花畑で戯れる子供達の集団ではない。各国の利益を高めるための虚々実々の駆け引きが当たり前のように行われている。日本はと言えば、自国の技術力や商業的な成功を道具としてその駆け引きを上手く躱してきた。ただ、いつまでもそれを放置されるような甘い世界ではないのだから、状況の変化に応じて日本もドンドンと対策や方法論を変えていかなければならない。それを自ら縛る必然性は何処にもない。
だからこそ、私達は過去の失敗に囚われ続けてはならない。特に日本のメディアは未来に対する責任感を強く有していないが故に過去を叩き続ける。政府や政治家の過去を叩くことは倫理を守り過去を反省する上では重要なことではあるが、それは後悔を日本国民や政治家に与え続けるためのものでは無い。
戦時の勇ましい報道を続けた新聞社は、そのトラウマからシニカルな皮肉屋に成り下がってしまったが、それは情報の意欲に溢れた時代には効果的であっても、社会の活力が低下する時期には却って足枷となる。
今日本に必要なのは、これまで蓄えた富を少しでも取られないように無様に逃げ回るのではなく、多少の損失を受けたとしても再び成長を手にできるように前に進むことではないか。確かに少子高齢化や生産年齢人口の減少など、不可避な問題が山積みであるのは事実であるが、だからと言って前に進もうという精神を萎縮させてはならない。
楽観論は好調な時には諫めるべきものではあるが、不調な時ほど利用価値は高い。今の日本に最も足りないものは楽観論やバラ色の未来を掴み取るために挑戦するスピリッツであろう。現状それを最も阻害しているのは言うまでもなくマスコミや一部の有識者である。ネガティブなことはちょっと知識を有していれば誰にでも言えるし、その予想が外れても大きな損失を受ける訳ではない。逆に、楽観論はそれが外れた時に受けるダメージは大きい。

何も荒唐無稽な楽観論を叫べと言っているのではないし、精神論を振りかざすことでもない。冷静に考えた上で、私達が手に入れられるであろう成功や反映を堂々と述べようと言うのだ。
もちろん、どんな方法であっても単純に上手く行くほど世の中は単純ではない。加えて、日本は失敗しない道筋をこれまで取ってきて大きな落ち込みを避けてきもした。それは時代を勘案すれば間違いではなかっただろうと思う。ただ、萎縮の期間が長ければ長いほどに日本国民の心理に衰退が深く刻み込まれる。
チャレンジスピリッツを発揮する時は今だと思う。