Alternative Issue

個人的な思考実験の、更に下書き的な場所です。 自分自身で消化し切れていないことも書いています。 組織や職業上の立場を反映したものでは一切ありません。

適度な不公平が安定を生み出す

暴論であることは理解しているが、世界が均衡ある発展をすると言うことが理想のように語られていても、実はそれこそが世界に不安定化を招く元凶ではないかという疑念が晴れないでいる。
以前、公平さが鬱を生み出すのではないかという内容について書いた(http://d.hatena.ne.jp/job_joy/20120725/1343178480)が、考え方の構図は似ている。世界や社会というものは私達が理想的に考えるほど平等や均一化を必要としていない。むしろ、それらの追求は長期的には世界の平和を阻害する要因として働きかねないのではないかと思うのだ。
むろん、こうした考え方は現在の勝ち組である先進国の立場を基本的に補強するが故に、受け入れられない人も多いだろう。平等を方便ではなく信条とする人は結構多いものである。私自身、理念としてのそれは決して悪くないと思うのだが、平等が招く均質化の弊害については今ひとつ十分な検討が行われていない。
形を変えての議論とすれば、ファーストフードに比較して語られがちなスローフード運動(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%83%95%E3%83%BC%E3%83%89)などは、別にコンビニエンスな食事が良い悪いを言うのではなく、世界に蔓延する均質化への抵抗と捉えることもできる。あるいは、大都市と地方都市を交通網で結ぶことにより結果的に生じてしまうストロー効果http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%AD%E3%83%BC%E5%8A%B9%E6%9E%9C)についても、ストローによる流出の対価は大都市文化の広がりにより見られる均質化である。

不公平とは、一般的にある価値観に基づいた状況の差異を言う。もちろん私達の日常にも常々存在し、それが是正されるべきだと思うことも多い。ただ、その差異は別の価値観で見れば不公平ではないことも少なくない。それは不公平により利益を得ているものの論理と言えなくもないが、私は差異は差異であってそれを不公平と決めつけるには一定の厳格なルールの下でないといけないと思っている。マスコミなどはこうしたルールを自分で決め、その上で都合の良いルールをケースごとに用いたりする面が多い。考えてみれば、こうして平等という崇高な目標を掲げながら不公平感を煽るような行為は社会を混乱させるために行っているようではないか。
過度な不公平があってはならないということは私も大いに同意する。ただ、最もまずいのは不公平があることではなく、大きな不公平が固定化されることである。その差異が固定化されて抑圧されるほどに社会にはマグマが溜まっていく。アメリカンドリームとは、不公平を前提にその中での成功があるからこそドリームなのであるが、それが多すぎれば社会は混乱し少なすぎれば荒廃する。

差異は普遍的に存在し、それを埋め逆転する事をモチベーションとして社会は躍動する。公平さの究極は、実のところその躍動感を失わせてしまう。不公平の是正は希求すべき目的ではあるが、それは決して実現すると考えてはならないし実現させてもならない。
私達が真に目的としなければならないのは、差異が不公平だと認識されない社会を目指すべきなのだろう。