Alternative Issue

個人的な思考実験の、更に下書き的な場所です。 自分自身で消化し切れていないことも書いています。 組織や職業上の立場を反映したものでは一切ありません。

懐かしさ

ふるさとは遠くにありて思うもの。
これは交通網が発達する前には物理的な真理であったが、現状では行けるけど行かないという心理的な障壁に変化した。行こうと思えばいつでも行ける、しかし必要がなければ向かわない。日常とは切り離されたものとして存在しているのである。
日常から切り離した理由は、主に生活の糧を得るためというものもあろうが、同時に限定された生き方を拒絶するという面もある。そこには存在しない自分の未来を探しに行くと言うことだ。仮にそうだとすれば、すなわちふるさとには求める夢がないと言うことでもある。

夢がないから出てきた場所でありながら、そのふるさとに懐かしさを感じるのは単に幼き時代を過ごした場所と言うことだけではなく、その夢の比較自体に一部のむなしさを感じているからと言う面はないだろうか。
夢を求めるものの、現実には期待していたほどの成果を手にすることが出来なかったとすれば、ふるさとを去ってきた理由そのものがあまり価値のない行為であったことになる。もちろんそれが全くの無駄であるはずもない。チャレンジ無き成功はあり得ない。
しかし、夢とは別の安定した道に対して別の夢を見る。それがふるさとに感じる感情ではないかと思うのだ。

実際には、どちらの道を進んだとしてもおそらく立場ごとの困難も挫折もあるであろう。ふるさとに見る夢は、ふるさとを出るときに見た夢とは方向性こそ異なれど実質的には同じものを見ているのだ。今とは違う成功かあるいは安寧を。

別にふるさとに限る必要などはない。懐かしさとは、別の可能性を後から顧みる上での感情を言うのだと思う。「あの頃は良かった」と遠い昔を思い出すと言うことは、単純にその時代の良さを思い出すだけでなく、現在の自己を取り巻く状況との差異を考えている。それは、必ずしも具体的な別の夢を見るわけではないかもしれないが、実際には自分が進んできた道とは別の道に存在したであろう可能性を比較している。
別の道の具体性までは想像しないかもしれないが、その別の道の象徴として過去の状況を懐かしんでいる。

それは、道を進むために捨て去らなければならなかった可能性の象徴なのだ。
懐かしさが、人を惹き付けるのはそこにかつて存在した可能性が垣間見えるからであり、それ故に同じ経験を経てきたもの達の間で理解できる儚き夢でもある。

それは、夢でありながら今は追えない夢。
懐かしさとは、捨て去った夢に対する郷愁なのであろう。

「懐かしさは共感を呼びこそすれ、新たな夢を生み出すことはない。一時的な精神の安穏のために利用される。」