Alternative Issue

個人的な思考実験の、更に下書き的な場所です。 自分自身で消化し切れていないことも書いています。 組織や職業上の立場を反映したものでは一切ありません。

常識の打破(その2)

(その1からの続き)

状況の客観視が仮に為されたとしよう。その重要性については前回のエントリにも書いたが、だからと言って現状を打破できるわけではない。知ったものを如何に生かすか。そこが問題となる。
現実には状況の客観視すらできないままに、それでも何かを変えようと普段と違う考え方を導入してみたり、あるいは現状をまるで否定してみたりなど、様々なチャレンジが行われる。
しかし、私は全く別の要素を取り込めば変わるというのは間違っていると思っている。
確かに考え方やものの見え方は変わるかもしれない。しかし、それは現状の多くを否定した上に存在する視点である。現状を否定すると言うことは、全く新たなことを一から始めるわけであるから視界が変わるのは当然のことだ。
しかし、それが本当に効率的であって自分の殻を破ることになるのであろうか?
トランプのポーカーゲームにおいても手札を総替えすることもある。でも、この場合に確固たる勝算があってそれを行うケースがどれくらいあるのだろう。それよりはこれまで積み上げてきたものも生かしながら、必要なところは変えていく。ケースバイケースではあるものの、多くの場合において生かしながら変える方が効率的である。

過去を生かしながら変える。それは非常に心地よい響きではあるものの容易なことではない。
何を残し何を変えるのかという選択が困難だからである。必要性の低い部分に拘ってしまったり、逆に核心部分を捨て去ってしまったり。
「意外性」という言葉で語られることもあるが、意外性は本当に意外なものであっても意味がない。誰もが気づかない正当な方策を用いるからこそ、意外な手法が成功に至るのである。だとすれば、意外性が評価されるとはより広い視野を持っていると言うことに等しい。
逆に言えば勝算のない意外性は、奇をてらった方策と呼ぶこともできる。偶然の産物により新たな何かを獲得することもあるかもしれないが、それはやはり偶然の産物に過ぎない。奇をてらうというのは、個人的な願望の形を変えた奔出ではないかと私は思う。まさに「一か八か」の偶然性期待なのだ。

通常、願望では常識は覆せない。それを可能とするのは地道な積み重ねと、少しばかりの運である。
エジソンが言った言葉として知られている「天才は1%のひらめきと99%の汗」については、近年「1%のひらめきがなければ99%の努力は無駄である」という意味だという見解が主流のようではあるものの、運(ひらめき)のみを追い求めても成功はおぼつかないことに変わりはない。
私は、常識を打ち破るのに必要なことは「知識のリストラクチャリング」だと思っている。別の言葉で言えば「再構築」となる。私達が知っている知識は、様々な階層に分かれている。基本的な知識AとCの組み合わせとして、別のCという知識を単一情報として持つ。こうした知識の複合化は、現実の複雑な問題に効率的に対処するためには避けて通ることができない。
私達の普段使う知識というものは、膨大な知識の組み上がった状態で存在しているのである。

常識にとらわれない発想は、この知識の状況をできるだけ的確に把握し、これを分解することから始まる。一度分解して再構築するのである。この時、既存の常識はなるべく利用しない。手間のかかる話ではあるが、既存の知識の組み合わせとは異なるそれをもう一度作り上げるのだ。
イメージとしては、ブロックを用いて緻密に組み上げられたお城を一度崩して、再度別の城として組み上げるようなものであろう。その時に、既存のブロックをよく見直してみればこれまで気づかなかった使い方に思い至ってみたり、あるいは別の組み合わせ方を発見したり。普段流していた部分を再びじっくりと評価するのであるから、新しい発見に気づくことも多いであろう。
ここで重要なのは、(その1)でも触れたとおり客観的に構成要素を評価することである。それがなされなければ、知識の分解が十分に行われないケースが生じやすくなる。常識の打破とは、常識として保持してきた知識を再度見直すところから始めなければならない。それなしには重要なポイントが見逃されてしまう可能性が少なくない。
浅い知識の分解であるならば、誰かがそれに先に気づいていると考えた方が自然であろう。自分の殻の打破であるから、誰かの方法を真似ると言うことも当然可能ではあるが、それはおそらく自己の常識の満足行く打破には至らない。
なぜなら、誰もその本人が抱く常識とは同じものではないからである。

世の中にある常識とは、多くの人が持つ個別の常識の最大公約数で構成されている。だから、それを打ち破るのみでは自己を包む常識を十分には打破できない。常識を打破する上での最初で最大の難関は自分なのである。

「情報や知識の分解再構築は、料理に似ている。その配分や味付け、用いる素材を少し変化させるだけで大きな違いが生まれる。レシピ通りに料理を作るのは容易かもしれないが、新たな満足行くそれを作るのは困難だ。」