Alternative Issue

個人的な思考実験の、更に下書き的な場所です。 自分自身で消化し切れていないことも書いています。 組織や職業上の立場を反映したものでは一切ありません。

決断すると言うこと

即断即決と、じっくり考える方のどちらがよいか。
ケースバイケースなのはすぐにわかる。

ただ、即断即決であろうが、じっくり考えようが、実のところを言えば思考しているレベルにそれほど大きな差はないと思う。
即断即決は、代替案の数を絞っているケース。すなわち、事前に想定している可能性の高い代替案を絞って考えている(通常は2択くらいまで絞っている)。
じっくり考えるのは、その代替案の範囲を広げているケース(それでも人間が比較可能なのは5択くらいが限度)と、代替案の様々な要素を繰り返して見直す場合。

仮に、問題の構成要素が単純な場合、即断即決で決めようが、熟考しようが、判断結果に差は出にくい。しかし、問題の構成要素が複雑な場合は、即断即決では比較検証が不十分なまま判断することになってしまう。

普段即断即決はと言われる人々であっても、おそらく賢明な人は構成要素が複雑な場合には即断即決はしない。その場合には、時間をかけて選択するのだと思う。

一方で、どんな問題でも即断即決という人もいる。
こうした人は、複雑な思考を投げている。だから、単純な問題や自分の得意な問題なら瞬時に判断しうるが、それ以外だとからきし弱くなる。

逆に、どんな問題でも悩む人もいる。
それは全く逆のケース。

即断即決が常によいわけではないし、じっくり考えるのが常によいわけでもない。
それよりは、問題の全容をなるべく早く的確に把握して、即決できるものなのか、それとも腰を据えて考えなければならないのかをまず決める。
そして、その事前決断に基づいて判断速度を調節する。

そうした思考の柔軟性、決断の柔軟性が最も重要なのではないかと思う。
もちろん、実際の決断を何に基づきどのように決めるかは、また別の意味で重要であろう。
まずは、決断のための舞台を整える。

それが、決断の前に必要なのだと思う。・・・まあ、実際には一連の思考の中に含まれるのだが。

「決断とは退路を断つことであり、新しい道を開くものでもある。退路を断つことが常に諒とは限らないが、少なくとも前に進むきっかけとなる。その意義は深い。」