Alternative Issue

個人的な思考実験の、更に下書き的な場所です。 自分自身で消化し切れていないことも書いています。 組織や職業上の立場を反映したものでは一切ありません。

知識と知恵

人の成長について考える。ただし、子供の身体的・精神的成長はここでは取り扱わない。
成長期を過ぎた人間の成長についてであるから、当然身体的なそれは含まれない。逆に言えば、精神的な成長がそれに当たる。
精神的だけではなく、知的能力も、処世術も含まれるであろう。

基本的に、私達が大人の成長を言うとすれば、2つの大きなパターンがあるように思う。

一つ目は、仕事のなどの能力が高まった場合・・・知的能力の向上
もう一つは、人間的な深みが出てきた場合・・・社会的能力の向上

知的能力の向上は、言い換えれば知識の高まりと言っても良い。
一方の社会的能力の向上は、知恵の習熟と言えなくもない。

ややこじつけ的な分類ではあるのだが、
・知識の蓄積(知識)
・知識の活用(知恵)
この二つが、人の成長として評価される部分ではないかと思う。

知識の深まりだけであっても、成長と見なされる。
一方で、その活用方法を知ることも、これまた人の成長として扱われる。
もちろん、両者がリンクしながら向上していく姿が求められるのは言うまでもない。

学校教育では、主に知識の蓄積が重視される。
それは、社会で活躍するために必要となるかもしれない最低限+αの知識を覚えさせること。
だから、その活用方法についてはそこまで体系的に教えられることはない。
知恵は、自力で身につけなければならないのだ。

しかし、知識と知恵は相互に影響し合う。
知恵のない知識は無用の長物だし、知識のない知恵は机上の空論にすぎない。
だから、基本的にはどちらが欠けても人の成長には本来結びつかない。

知識の深まりが主であっても、そこに付随して幾分かの知恵は伴ってくる。
知恵が増すためには、土台としての最低限の知識が必要である。
実態はそんなところであろう。

では、人の成長において両者のウエイトとしてはどちらが重要視されるのか?
おそらく、知恵であろう。
最低限の知識は、社会生活を営む上では誰もが必要とする希少価値とは言えないものである。
一方の知恵は、そのレベルにもよるものの扱えるものの数は少なくなる。

結果として、人の成長は知恵を如何に身につけるか?
そこにかかってくる。
もちろん、知識が知恵を身につける上で必要であることは当然のことである。

「知識は素材、知恵は料理。素材が不足すれば料理は制限される。素材を生かせなければ料理は価値を持ち得ない。しかし、料理には無限の可能性があり続ける。」