Alternative Issue

個人的な思考実験の、更に下書き的な場所です。 自分自身で消化し切れていないことも書いています。 組織や職業上の立場を反映したものでは一切ありません。

ネガティブ思考とは

ネガティブな思考とはどういうものだろうか?

恋愛においても、あるいは仕事や学校においてもそういう思考に囚われる話は、比較的よく聞く。

それは、常に失敗したときのことを考えてしまうこと?
あるいは、自らの考えによって自らを傷つけてしまう行為?

確かにそういった側面はあるだろう。しかし、考え方を変えれば事前に様々な失敗の可能性を想定しておくこと自体が悪いわけではない。
それどころか、事前のこうしたシミュレーションによって失敗の芽を摘むことはむしろ好ましいとさえ言える。

では、ネガティブ思考の何が悪いのか?
それは、思考がある地点で停止してループしてしまうこと。
同じ考えがぐるぐると頭の中に居残ってしまう。
それが、失敗という自らのミスの可能性を中心としていつまでも続く。
だから、ネガティブ思考は忌避される。

ただ、あくまでループすることが悪さの原因であって、ネガティブ思考を一時的に行うことが悪いわけではない。
これは、そのループがマイナス側の考えで固定されてしまったという現象に過ぎない。
仮にプラス側の思考でループしたらどうなるのか?
それは、お花畑とか、夢想家などと呼ばれる存在になる。
周りを暗くしないという意味ではまだマシかもしれないが、それでも無意味な思考の繰り返しという意味では何も変わらない。

ネガティブな思考をなんとかしようということは、結局のところ思考のループを抜け出す方法を持たなければ、何も解決しないことになる。


例えば、自らの美点や強みを考えること。それによりネガティブループから抜け出すことは可能かもしれない。しかし、その結果として立ち位置がポジティブループに移動するだけであっては、実質的な解決ではない。

最も単純なループからの脱出方法は、多方面から問題を眺めてみること。
もちろん、自力で容易に出来るわけではない。だから、他人の意見を聞く。
それが効果的なこともあれば、そうでないこともあるだろう。
ただ、自らの視野が狭くなっているからこそ同じ道(思考回路)を何度も繰り返し進んでしまう。視野を広げると言うことは何よりも重要だ。

ところで、この視野を広げるための条件として自らの知識などが広がらなければならないことも多い。
知識が不足すれば、視野そのものが広がりようもないということ。
無限のループから抜け出すためには、新たな知見を得ること、掴むこと。
それをせずに、自分の手持ちの情報をいくらこねくり返してみても、劇的に視野が変わることは多くない。その程度で変化するのであれば、事前の検討が不十分なままであったという事に過ぎない。


考えてみれば、この手もある、あの手もある、、、と数多くの解決策を有していたとすれば、ネガティブな思考に陥るであろうか?普通の人は陥らないだろう。
ループ思考とは、要するに解決策を探している状況なのだ。
ただ、手持ちの知識にはそれが見あたらない。
あるいは、解決策など歯牙にもかけていない場合もある。
ただ、自力で思考ループを抜け出せると思っている。あるいはそうでありたいと願っている。

どちらにしても、問題の解決策が容易に手に入るのであれば、誰も苦労はしない。あるいは、少し考えた程度で解決策が見つかるなどと言うこともほとんど無い。
だとすれば、そこでネガティブな思考に陥ってしまうのは本当にもったいない。・・・・陥った人を馬鹿にしているのではないのであしからず。

思考のループと熟考は似ているようで否なるものだ。
熟考にはもちろん意味がある。しかし、単なる思考のループには意味はない。
その違いはわずかなものかもしれないが、単なる思考のループであるかどうかはおそらく当の本人が一番知っている。
あとは、それが思考のループであると本人が認めること。
それさえできれば、抜け出すためには別の手段を持ち込まなければならないことは容易にわかる。


とは言え、人間はいつも考えすぎてしまうもの。
考える=人間の存在意義なのだから。
できれば、そういう人たちのそばに良き友がいることを期待したい。

「悩んでいること自体を悩まなければ、自ずと道は開ける。」