Alternative Issue

個人的な思考実験の、更に下書き的な場所です。 自分自身で消化し切れていないことも書いています。 組織や職業上の立場を反映したものでは一切ありません。

夢が叶うという夢

人々は夢を持ち続けることを望む。
夢など何もないと言いながら、淡い期待を抱き続ける。
その淡い期待も結局のところ夢の残骸ではないだろうか?

夢と対比する概念で現実がある。
夢ばかり見ていないで現実を見なさいと、厳しい叱咤が響く。
しかし、夢は叶えば現実でもある。
それならば、夢が叶った後で現実を見ても良いではないか。

実のところ、夢は必ず叶うとは限らない。
もちろん、夢のレベルにより実現確率は当然異なる。
簡単な夢なら努力すればほぼ間違いなく叶うであろう。
しかし、大きな夢は自力のみでは届かないところに存在する。
簡単な夢は、実のところ夢ではなくて目標に過ぎないのだ。
目標も夢も似たものではあるが、目標はそこに到達するための道筋が明確で、かつ自らの努力のみでそれを実現できるものである。
一方で、夢は自分の努力のみでは必ずしも達成できないもの。
そこには、偶然が関与する。

その偶然は、誰にも微笑むわけではない。
むしろ微笑まないことの方が多い。
だから、夢は基本的には叶わないことの方が多い。
おそらく宝くじに近いものであろう。
そんなに容易に当たりくじは引けないのだ。

では、夢は諦めるべきか?
それはまた違う。
諦めれば、夢を実現する確率はほぼゼロになる。
ゼロと、低くても存在する確率の間には越えがたい壁がある。
なぜなら、努力はその低い確率を僅かながらでも上昇させ得るのだ。
当たらないかもしれない。実現できないかもしれない。
しかし、努力はその確率を確実に上昇させる。
宝くじも買わなければ当たらない。言い古された言葉ではあるが、やはり真実であろう。
そして、努力は大いなる経験を伴っている。
夢は叶わないかもしれないが、そこで得た経験は他の夢に再び役立てることができるのだ。

夢は叶えることが最終目的ではあるが、そこに至る過程でも様々なものを私達に与える。
人との出会い、様々なスキル、努力に耐える心。
それは夢を諦めた人には得ることが出来ない。
その得たものを利用して、再び別の夢に挑戦できるのだ。
その時には夢を叶える確率は格段に上昇しているであろう。

夢は一つでなければならないなどとは決まっていない。
しかし、早期に諦めればどんな夢にも近づけない。
夢は必ず叶うとは決まっていない。
しかし、夢に近づくことは必ず可能である。

だから、夢を追うことには意味がある。
夢を抱くことも重要だ。
ただし、夢に絶望してはならない。
夢に近づくこと自体が大きな成果を伴っているのだから。

「夢を人に売るものは、それが夢ではないことを知っている。良い場合であっても悪い場合であっても。」