Alternative Issue

個人的な思考実験の、更に下書き的な場所です。 自分自身で消化し切れていないことも書いています。 組織や職業上の立場を反映したものでは一切ありません。

コロナ対応-中国型と日本型

 世界中でコロナウイルスの感染が広がっているが、この事態は1月も前には十分予想できた内容であり、いくつかのエントリでも触れてきた。日本以上に感染拡大している多くの国があるにも関わらず日本を叩くメディア(【襲来!新型コロナウイルス】もう止まらない! 米メディアの安倍攻撃 NYタイムズ紙「政界の脱出王」よばわりの猛批判 : J-CAST会社ウォッチ)は、どのような意図があるかを勘繰られても仕方がないだろう。報道ではインフルエンザよりは感染力が低い(新型コロナ「インフルほど感染力高くない」 WHO見解 [新型肺炎・コロナウイルス]:朝日新聞デジタル)とされるが、致死率を考えるとそれでも十分に高いこと(新型コロナ、致死率は季節性インフルエンザの10倍-チャート - Bloomberg)がわかる。この災厄にどのように立ち向かうかは、大きく分けると二つに分類できると考える。一つは中国のように徹底した行政権の行使(コラム:新型ウイルスとの闘いに「優れた官僚制度」が必須な訳 - ロイター)による封じ込め策であり、もう一つは日本のようにウイルスとの共存を視野に入れながら、国民の理性的行動で緩やかに収めていく方法である。もちろん現段階ではどちらの方が優れているかはわからない。ただ、この二軸を中心に複合的な対応策が練られていくだろう。

 だが、以前にも何度か書いたように日本や欧米などにおいて中国と同じような強権的な長期間の封じ込め策は、危機が切迫していると多くが判断できない限りそうそう発動できない。かつて、スペイン風邪の大流行時には強制的な都市封鎖が行われたとされ、その有効性も十分認められる(新型コロナ、NY州が非常事態宣言-イタリアもミラノなど封鎖へ - Bloomberg)が、経済面を考慮しなければならないこの時代においてハードルは高まっているだろう。経済が死ねばコロナ以上の死者を生み出すことになる。行政当局や政権などは、自由と規制の扱いについて頭を悩ませることになる。

 

 さて、中国型と日本型は言い換えれば「強制型」と「自主型」と言い換えることもできる。別の観点から言えば、国民を信じられるか信じられないか。国民を信じられるだけの民度やシステムを用意できているのか。国と国民との間にある信頼関係が異なることによる対応の違い(中国副首相に「全てうそだ」武漢で隔離中の市民絶叫 - 芸能社会 - SANSPO.COM(サンスポ))と言える。繰り返しになるが、両者の間にどちらが優れているという議論を今行うことにはほとんど意味がない。両者は抱えるバックグラウンドが異なり過ぎ、政治体制も根本的に異なる。ただ、最終的に成果を上げたほうが適した手段であったとは言えるだろう。

 感染の広がりを抑えるための方策により生じる経済ダメージは、日本方式よりも中国方式の方がずっと大きい。だが、早期封じ込めに成功すれば、「経済ダメージ×期間」でカウントされる総合的な損害は小さくできる。これは、封じ込めが可能であるという前提に基づき立てられた社会主義にありがちな計画。加えて、封じ込めというポーズにより国民の安心を買うという側面も考えられる(政府の対応誇示もあろう)。今、最も重要な要因はコロナウイルスによる死者(社会ダメージ)抑制、その抑止策により副次的に生まれる経済的ダメージ、そして事態に関連して生じる国民の不安や反応である。この3つをどのようにバランスさせるかが重要となっている。本来は封鎖などは行いたくないイタリアで、ミラノなどの封鎖が行われるのは感染防止もあるが、同時に急速に広がる感染を受けてパニックが生じることを防ぐ意味もあるのではないか。

 なお、中国以外で同様の方法を取っているのはシンガポールであるが、こちらも封じ込めではなく感染者の監理で一定の成果を上げている。国家体制による違いが如実に表れているように感じいる。そして、パニックになりつつあるイタリアも中国側の方針に傾きつつある(イタリア、北部の1600万人を隔離 ミラノやヴェネツィアも対象(BBC News) - Yahoo!ニュース)。ただ、どこまで徹底できるかには疑問もある。

 

 一方の日本はなし崩し的に進められた感はあるが、それでも感染の広がりは抑え込めないという前提に傾いた対応をしている。その中で、もっとも人的ダメージ(死者)を抑え込む方法がここまで取られてきた。ここからは、それに加えて経済的ダメージをどう抑えるかがより大きな課題となる。これらは豚インフルエンザの時の経験や知見が生かされている。もちろん、感染力や致死率などいくつかのパラメーターがあるため全く同じではないが、刻一刻変化する情報を分析しながら判断を微修正しながら取っている方策と考える方が良い。

 ただ世界で同時に広がる今回のケースは、歴史的な情報はあってもほぼ初めての対応であるのは間違いない。ホワイトナイトは存在しないと考えるべきである。それ故に、特に経済面への影響を正確に予測するのは難しいだろう。致死率が高くなるほどに封じ込めを選択すべきだし、だが致死率は短期的には医療システムの稼働状況により左右される。長期に至ると経済がそれに関係してくるが、現時点では短期的な医療崩壊を防ぐことが重要であり、その点でいろいろな批判はあるだろうが概ね安定した対応が取れていると評価する(もちろん、十分検査ができていないのは事実である)。

 当初より医療崩壊を招かないことが最大のポイントだと指摘したように、パニックを誘発しないという目的は達せられていると思うが、これも国民性が許容させた良い側面であろう。マスクには多少問題があったが、トイレットペーパーの不足程度で済んでいるのであれば笑い話で終われる。だが、事態が長期化すれば徐々に方向性も変わってくるだろう。大きな不安(パニック)は回避できても、小さな不安が社会に蓄積されていく。 特に経済的なそれは小さくない。現在の希望は、夏季になってウイルスの広がりが収まっていくことであろう可能性。実際に、夏である南半球や熱帯地方では、欧州のような急激な広がりには至っていない。日本でも強く期待したいところではあるが、あまり楽観的になるのもよくはない。

 日本方式でありながらより成功しているのは台湾かもしれない。今後のことは予想できないが、少なくとも今まででは最も上手く対応している。

 

 さて、もう一つの注目点は「中国は本当に封じ込めに成功するのか?」であろう。実際、中国が報告する感染者数は極端に減少し、日本の増加数よりも少なくなった。感染者数が少なくなったのは事実(中国本土、感染者数の伸び鈍化 武漢封鎖前以来の2桁に [新型肺炎・コロナウイルス]:朝日新聞デジタル)だろうが、当初より1~2か月で感染終了の幕引きを狙っているのはある程度想像できた。中国が選択しているのは経済に対する劇薬であって、早期に封じ込め成功を宣言しなければ却って政権への信頼性を失わせる。中国共産党政権の取った選択は、当初にも書いたように封じ込め成功を前提にした戦略である。彼らはそれを今更引っ込めることはできない。

 ただ、その割には早々の都市封鎖解除宣言が出てこないのが、個人的には気になっている(3/9追記:新型コロナウイルスに関する交通規制、江蘇省では再度厳格化の動きも(中国) | ビジネス短信 - ジェトロ)。徐々に封鎖を緩めているという情報は聞くが、それほど威勢がよくはない。理由を想像すると、何かを基準に2週間を待っている段階か、あるいは再感染拡大を懸念して動き出せないか(武漢市“再び陽性”相次ぎ 退院後28日間隔離の措置(テレビ朝日系(ANN)) - Yahoo!ニュース)、それとも世界的な感染蔓延(状況の希薄化)を待っているのか。その全てという気もしなくはないが、仮に中国が感染の封じ込め宣言を行ったとしても、今後は世界中がそれどころではなくなっているという話にもなりそうである。今回の結果として、世界はグローバル化から徐々に離脱し始める。中国の生産能力回復は余剰にしかならないかもしれない。少なくとも、中国が望むこれまでの状態への回帰は容易には進まないだろう。それに中国経済が耐えられるかどうかは何とも言えない。当面の間は力でねじ伏せられるだけの強権を中国政府は持っている。だが、私の勝手な想像だがそれは中国以外の国(例えば韓国など)からの不動産バブル崩壊の流れにより、押しつぶされるのではないかと予想している。もちろんそうなれば他の債権も大崩れとなる。とは言え、あくまで根拠の薄い予想に過ぎないが。

 

  次に考えるべきは、宣伝戦の問題がある。中国は必死に自国発という汚名を回避しよう(疫病さえプロパガンダに使う中国政府の過ち | 風刺画で読み解く中国の現実 | コラム | ニューズウィーク日本版 オフィシャルサイト)と情報戦を繰り広げてきた(新型ウイルス対策「果敢な中国だけが成功」と習政権が自画自賛大宣伝(古畑 康雄) | 現代ビジネス | 講談社(1/7))。一時的にはその方向にシフトしかけたが、アメリカがその流れに待ったをかけようとしている(米国務長官「武漢ウイルスだ」中国の情報提供に不満)。中国は、今後世界各国を援助・救助するという名目で押し通していくことになる。その際に、世界中で良い印象を植え付けようという目論見である。だからこそ、その情報戦にアメリカがくぎを刺してきた(新型コロナ 米メディア、「武漢コロナ」と呼び起源を明確化 古森義久 - 産経ニュース)と考えるのが素直であろう。

 世界中のメディアには様々な形で中国の手が表に裏に伸びている(米 中国メディア5社「政府の支配下」 中国は反発 | NHKニュース)が、その対策もアメリカ主導で徐々に進められる(米政府 中国メディアの従業員数を制限へ)だろう。

 

 さて、日本は国民の良心と節制された対応に依存した対策を取っている。これが成功すれば素晴らしいモデルとなるが、他国が容易に受け入れるのは難しい。東日本大震災を始めとした災害時の互助能力は、日本以外の国では容易に獲得できないものであるのだから。