Alternative Issue

個人的な思考実験の、更に下書き的な場所です。 自分自身で消化し切れていないことも書いています。 組織や職業上の立場を反映したものでは一切ありません。

強さとは

 子供のころに考える自分の未来には、有名になりたいととか、お金持ちになりたいとか、誰からも尊敬されたいとか、漠然としたイメージがよくあるものだ。結果としてその具体例に、芸能人やスポーツ選手、あるいは有名な科学者などの実際の存在や、歴史上の人物などがあがることになる。夢として最終的な立ち位置をイメージするが、もちろんそこにたどり着くことは容易ではない。様々な苦難を乗り越えてこそたどり着ける地位や境地があるのは、誰もが容易に想像できること。

 最近ではyoutuberになりたいという小学生も多いようだが、一方で昔から安定して望まれる職業に公務員というポジションもある。安定しているというのが最大の理由であろうが、個人的には親の願いのコピーの様で少々夢の成分に欠けているように感じられて残念だ。もちろん、自分の住む地域や日本をより良くしたいという高い望みや、そこで成功して政治家としてのし上がりたいといった野望でもあるならよいのだが。

 

 前置きが長くなったが、今回のエントリでは人の持つ「強さ」について考えてみたいと思う。これは個人としての総合的な強さを示し、部分・局所的なものを狙ったものではない。例えば、「強い人」と言われて想像することは何だろうか。

 負けない人、くじけない人、我慢強い人、引かない人、逃げない人、強引な人、、、その他、いろいろなイメージが浮かび上がってくる。少し前のエントリで「本当の力」について考えてみた。そこでは、物理的あるいは技術的なそれは基礎として必要だが、その上に強い精神力が求められることに触れた。

 

 社会や学校で出会う人の中には、強引であるが故に心の弱さを見せてくる人がいる。弱い自分を覆い隠すがために無理を通し、主張を曲げない。そんな人の一人や二人は見たことがあるだろう。もちろん、そう考えられている当の本人はそれに気づいてないだろうし、また指摘しても認めることはない。ただ、このような例を見ると、単純に当たり(接し方)の強さが人の強さを示すわけではないことは容易に理解できる。特に、何らかの技術的能力や才能をそこそこ有している人ほど、表面的な力の誇示を示す傾向が高いように思う。学歴をかさに取る人、実績を鼻にかける人、親の力をひけらかす人。彼らは、どう考えても自分のことを大きく見せかけないと納得できない(耐えられない)弱い人である。

  もちろん、一定能力や才能を持っている。だから諦められない、そうした行為を止められない。ただ、それと人としての強さは直接的には関係しない。むしろ、才能も技術も持っていなくとも強い人は間違いなくいる。学歴はなくとも社会的に成功する人は存在するし、尊敬できる行いをしている人も間違いなくいる。結局のところ、高みにたどり着ける人には何らかの強さがあるのだと思う。執念なのか、果てなき探求心なのか、それともそれ以外の何かなのか。

 

 何度失敗しても諦めずに挑戦し続ける人には、間違いのない強さがあると私は思う。口で言うのは簡単だが、大きな失敗をすれば社会的な信用を失い、友人は離れ、多くの陰口をたたかれる。心の弱い人は復活に相当の時間を要すし、元の挑戦的な状態に復活できなくなってしまう人も少なくない。実際その状況になってみないとわからないことは多く、前を向いて立ち直るということすら簡単ではない。ましてや、以前以上の挑戦しようという気持ちを取り戻すのは相当には高いハードルがある。心は例えるなら豆腐に似ている。ギリギリまで抵抗するが、一度壊れると復活することができない。復活には、失敗した自分を認め、その上で一から自分を変えていくことをしなければならないからである。その一からの積み上げができること。これは一つの才能かもしれないと思う。

 相当前のエントリで、失敗は早い目に経験したほうが良いといった内容を書いたように記憶している(記憶違いなら申し訳ない)。自分の失敗を正しい意味で素直に認められることも、強さの一部を構成していると考えている。それは、自我や社会的立場という自分の身を凝るんでしまう「社会的しがらみ」が小さな時の方が容易なのだ。歳を取るほどに自分を変えることはなんとなくわかるのではないか。自分のステイタスが、自分のプライドが許さなくなる。もちろん、歳を経ても柔軟な人は存在する。自部の非を認め、それを常に改善しようとできる人。私自身、常にそうありたいと願っているが、なかなか届かない状態だ。

 

 私は人が持つ強さとは、自分を「不安定な地位に耐えられる力、それを保ち続けられる力」だと考える。

 人は安定する状態(地位、精神、人間関係、その他)を得ようと努力を続ける。高い収入を得て、多くの人に尊敬され、安定した生活を送れるようになりたいと考えるのは至極当然のことである。だが、強さとはそれを容易に捨てることができ、逆に捨てざるを得ない場合に追い込まれても再び復活できる力。安定という罠に安住の地を見つけない力ではないか。

 人によってはそれは恐ろしい事でもある。そもそもそうした不安定な状況から脱出するために、人は努力を惜しまない存在である。あるいはそれが叶わないとなれば諦めてしまう。だが、強い人はむしろ挑戦し続けるため自分を不安定な場所に置こうとする。不安定さの程度や在り様はケースバイケースだが、どのような変化にも耐えられる力を持つという点は同じだと考える。

 

 誰もが安心したい。そのために、自分が心配しないでいられる状態を増やそうと努力する。それがお金であり、地位であり、仲間であり、家族であり、権力である。だが、それに囚われずに挑戦し続けられる心こそが、強さなのだと思う。自分が心に決めた目標を目指し、そのために邁進できる。もちろん、そのために友は欲しいし、家族の応援もあればよい。社会的地位が利用できれば利用するし、お金や権力もあるに越したことはない。だが、それらはすべて従の存在。そう確信できる心。それを実行できる力。

 人の心は弱い。だから、ある程度以上歳を経るとこうしたチャレンジの継続に対して恐怖心を抱くようになる。そして、現在のポジションを守るために力をふるい始めたりもする。だが、それは強さではなく弱さの象徴である。弱い人であってもお金を持ち、力を持っている人は数多く存在する。だから、強い人イコール成功者とは限らない。ただ、強い人は自分を信じていると思うのだ。それができる人生は、おそらく後悔が少ない。逆に言えば、自分を信じきれないからこそ、弱さを周囲にまき散らしてしまう。

 

 こんなことを書いておきながら、自分を振り返ると弱さばかりに気が付いてしまう。まあ、もう少し自分自身を見つめ直すのもよいだろう。