Alternative Issue

個人的な思考実験の、更に下書き的な場所です。 自分自身で消化し切れていないことも書いています。 組織や職業上の立場を反映したものでは一切ありません。

本当の力とは

 学校で勉強したり部活動を行い、あるいは社会に出て仕事を身につける過程で、私たちは自分の力を伸ばしていく。この時、話題の中心となる「力」とは何なのか。それは単なる才能ではなく、将来的に発揮されるかもしれない潜在能力でもなく、その時点で自分に内在している実力、処理能力。通常は、同じ線上に並んでいる人たちと比較し、処理速度や品質が高いことがそれを示す。スポーツ選手であれば他者と比べ良好な成績や結果を残すこと、学習成果であれば試験における良い成績を得ること、仕事では会社や組織が求める成果を素早く、あるいはより発展させて上げることなど。ある時点では相対的で、だが最終的には絶対的な指標。私たちは、その意味合いが異なる両者を同じように「力」と呼ぶ。

 力を発揮するためには、自らの精神的なコンディションが大きく左右する。練習の段階でいくら良い結果を残していても、本番では結果を残せない内弁慶なタイプの人は少なくない。中には本番の方が強いとか、何かを賭けている時ほど良い結果を残す人もいるが、私が知る限りそういう人は多くない。ただ、どちらにしても自分の力を最大限発揮し周囲に認められようと努力することは、社会的な成功を獲得する基本である。最近は、自分らしさを追求するのがブームになっていたりもするが、仕事と生活のどちらを選択しなければならないいう形は不健全であると感じている。本来、生活を豊かにするために仕事を頑張り、仕事で成果を得るからこそ生活が豊かになる(報酬の話だけではなく)という正のスパイラルが理想である。それを諦めた先に初めてこうした選択肢を考えるのではないだろうか。

 

 もちろん、理想は理想。実際に仕事と生活の良い連環が上手くいかない人も多いだろう。一般論として、自分の理想どおりに人生を送れる人はごく一部である。加えて、他者からは成功しているように見える人にも、人知れぬ挫折や苦悩はあるものだ。さらに言えば、自己認識する自分の力と、他者が評価する自分の力には乖離があるのが一般的である。成功の形も人により違う。多くの場合、自分の実力を正しく自身で分析・認識することは困難である。それ故に、第三者からの評価や意見を参考にして納得させられたり、評価の低さに反発したりする。更には、将来的な能力の伸びを前提にして「自分の力はこんなものではない」とリベンジを誓うこともあろう。だが、本当の意味でリベンジを果たせることは多くない。

 また、力は一度だけの結果では評価されない。「まぐれ」という言葉が適当かどうかはわからないが、継続的に自分の実力を証明しなければ他者からの評価を得るのは難しい。自己と他者評価の差に苛まれる人が多いのは、力の認識に差異があることを示している。私は、自己評価を第三者評価と比べて意図的に少し低く設定した方が成果に結びつくのではないかと考えているが、行為そのものがストレスになる人もいるだろう。低評価がストレスになる人は非常に多い。そのストレスから逃げるために、評価を避けようと自分らしさを追求する可能性もありそうだ。それにより心の平静を得られることも価値があると思うが、私の性格からするとチャレンジをしない人生はなかなかに堪えがたい。

 あるいは人によっては自分を鼓舞し、新たなチャレンジに向かわせるためにわざと大口を叩く人もいる。このスタイルは敵と味方を同時に作る非常に難しい手法であるが、それすらもプラスに変えられる強い精神を持つ人も存在する。どのような形であれ、自分に適した方法を選ぶことが力をつけていくためには求められる。良いコーチや先輩を見つけることもあるし、自分よりも一つ上のポジションの考えで(例えば自分が係長なら、課長のつもりで業務全体を見るなど)取り組むなど、自分を客観視できることが重要となる。正確な計画は、正しいな分析、基づく確実な情報によってでしか行えない。

 

 力のつけ方については、また別途機会があれば書いてみたいが、今回は「本当の」力をテーマにして書いているので、ここからはそこに触れたいと思う。考えてみると、世の中における「実力者」と呼ばれる存在は、単に力・実力があるというだけではない。多くの場合において、不利な状況を覆すことのできる場合に与えられる一種の敬称であると考えている。多くの人が考える不利な状況を覆せる能力、実力。それは単なる能力の問題にはとどまらず、普通に考え得る常識を凌駕すること。

 私たちはどちらかと言えば、プレッシャーがかかる場面のみならず、逆境や不利な状況に置かれると、普段以上に実力を発揮できないことをよく目にする。そこには精神力が大きく作用する。諦めない心こそが、不利な状況を覆すことのできる源泉となる。もちろんその背景には冷静にはじき出した勝算を持っているはずだが、それは第三者にはなかなかわからない。一般的な仕事のスタイルを見ると、コツコツ(着実に結果を積み重ねる)タイプの人もいれば、開拓する(大きな変革をもたらす)タイプの人もいる。どちらが良いかという選択は、仕事や役割に応じケースバイケースで大きな意味を持たないが、後者を称賛する人は多い。起業家や特定の分野で成功を収める人たちは、何らかの新しいチャレンジを試み、乗り越えてきた人たちである。すなわち開拓者と考えられやすいが、私はそれと同時に自分を信じてコツコツと積み上げられる人でもあると考えている。

 

 上手くいかない時になんとかできる力。そのバックボーンは、積み上げてきた自分の力を客観的に見ることができ、その上で自分自身を信じて積極的に取り組める姿勢。乗り越えるまで継続できる力。私は、自分なりの根拠をもって諦めない「力」こそが本当の力だと思う。さらに言えば、そのモチベーションをどこまで維持し続けられるのか。一時的に、高い能力を発揮できる人はいる。だが、それを継続的に続けられる人は少ない。一方で、大した根拠を持たずに自分を過信する人も多い。過信は、自分の心を癒すための一つの手段ではあるが、逆にその存在が自分の成長を阻害することもある。

 自分を客観視することは非常に難しいが、正確に見るのではなく第三者の評価よりやや低めに設定するくらいが丁度良い。それが自分自身のアニマルスピリットを喚起してくれるのであれば。