Alternative Issue

個人的な思考実験の、更に下書き的な場所です。 自分自身で消化し切れていないことも書いています。 組織や職業上の立場を反映したものでは一切ありません。

思想権力闘争

 津田大介氏が被害者として祀り上げられ、言論の自由を開けぶ声に世論塗りこめられるという懸念は、彼らの浅はかな対談動画(https://video.twimg.com/ext_tw_video/1158220102753349635/pu/vid/640x360/-W4sMNzkAB-XjuM5.mp4)により払しょくされたと考えてよいだろう。朝日新聞抗議殺到で中止、悪しき前例 芸術祭、異なる背景知る機会 「表現の不自由展」:朝日新聞デジタル)等のメディアや、一部の言論界隈(テレビ朝日の玉川徹氏、「表現の不自由展・その後」展示中止に怒り|ニフティニュース)が声を上げても(学者らが会見「再開させ、よき事例に」 表現の不自由展 [表現の不自由展・その後]:朝日新聞デジタル)国中に広がることはない。もはやそのような扇動に動かされるほど、多くの国民は感情的でもないし、情報が不足してもいない。

 ただ、朝日新聞や左派知識人などが主張するように、展覧会を再開したほうがよいという意見には私も賛成だ。中止の直接的な原因(“表現の不自由展”中止へ。大村知事、京アニ放火事件を意識したことも明かす【あいちトリエンナーレ】 | ハフポスト)とされる犯罪行為は未然に防がれたのだから(表現の不自由展に脅迫ファクス送った疑い、会社員を逮捕 [表現の不自由展・その後]:朝日新聞デジタル)。そのうえでどんな展示が行われ、芸術という隠れ蓑を使いながらどれほど偏った思想をまき散らそうとしていたかを、多くの人に見てもらうべきだと思う。そして、多くの国民による妥当な判断を下してほしい。

 それにつけても、この問題は愛知県内や大阪を巻き込んだ、政治家のくだらない言い争い(大村氏、大阪・吉村知事の発言に「はっきり言って哀れ」 [表現の不自由展・その後]:朝日新聞デジタル)にまで広がっている。私としては大村知事をほとんど評価していない(川村市長の人気の尻馬に乗ったレベル)ので、特に感想があるわけではないが、彼は自分の政治能力や支持の厚さを過信しすぎではないだろうか。まあ、次の選挙で審判が下されるだろう。静かで声を上げない多くの有権者を馬鹿にしてはいけない。

 

 さて、今回の問題に関して私個人の立ち位置は、芸術的表現については世論と比較してもかなり寛容だと思っている。当初より、補助金削減等の圧力をかけるべきではないと考えたし、津田氏が芸術監督に適しているとはサラサラ思わないが、それでも彼の考えや思想が明らかにされること、そして社会がその程度の低さをきちんと評価すればよいと考えた。実際、怪我の功名的ではあるがその方向に動いているようで何よりだ。

 しかしながら、彼程度の人間がどうして社会的に評価され、任期付きとはいえど有名大学の若き教授になれたのかということについては疑問が残る。正直に言えば、大学界隈は左派的な思想の人の比率が一般社会と比較すると高いという現実がある。それは、ポジションとして自由であることや十分な立場と地位(あるいは給与)が確保されているということもあるだろう。もちろん、権力におもねらないからこそ独創的な研究ができるという側面があるのは間違いない。だが、それはあくまで個人レベルの思想信条に留めておいてほしい。

 

 というのも、津田氏が担ぎ上げられているようなケースは、審査員側の考え方が大きく左右されると考えられるからだ。知識人たちは、自分たちの地位や思想を守りながらも自分たちの考え方に対する賛同者を募ろうとすれば、広告塔を作り上げることが最も簡単で有効なのだ。すなわち、発信力があり一定の論理構成もできる、その上で被弾や炎上に慣れている津田氏の様な存在は非常に有効な駒となり得る。

 とすれば、様々な機会を通じて彼のような人物を社会的に価値あるポジションに置くことで、上手く利用していると考えるのが妥当ではないか(自治体等も社会的な地位のある人や受賞により人を選ぶので、「評価ロンダリング」と呼んでもよい)。ちなみに言えば、これはそれほど組織立った動きではなく、自分たちの考え方に社会的な賛同が広がらない状況を何とかしようとする自発的なあがきとも言える。

 もっとも、このように思想信条の近い人を持ち上げる傾向は昔から存在する。東京オリンピックロゴの時と同じような、業界のインナーサークルは今でも数多く存在し、それは右も左も同様である。

 

 結局、今回の騒動は大きな目で見るとこうした思想権力闘争の一部であり、津田氏は途中まで鉄砲玉として最適の存在であったと言えるだろう。だが、今回の件でミソが付いた。だが、次の有望な若手は数多くいる。なぜならばうまく立ち回り決定的なミスをしないでいられれば、自分のポジションや確固たる収入を得られる場所はどこかに用意されるのである。そこに求められるのは、多くの場合は発信力と打たれ強さ。

 そういう人はメディアにも数多くいるとは思わないだろうか。まあ、そういうことである。