Alternative Issue

個人的な思考実験の、更に下書き的な場所です。 自分自身で消化し切れていないことも書いています。 組織や職業上の立場を反映したものでは一切ありません。

誤報と新聞の凋落

 ハンセン氏病訴訟における朝日新聞誤報に対し、お詫びが掲載され謝罪した(ハンセン病家族訴訟 記事を誤った経緯を説明します:朝日新聞デジタル)。私は意図せずに生じてしまった個別の誤報は許容すべきだと考えている。ただ、それが特定の思い込みや扇動的な思想に左右されているとすれば、本人たちがいくら意図していないと言っても信じられない。それらは未必の故意未必の故意(みひつのこい)とは - コトバンク)にかなり近い状況と言っても良い。

 

 朝日新聞でジャーナリストを標榜する鮫島浩氏はtwitterでこのように書いている(鮫島浩 on Twitter: "「首相の意向を知りうる政権幹部」に騙されたのか勘違いしたのか要の部分が不明だ。騙されたのなら強く抗議しないとまた騙される。これまでも世論操作に利用されてきたのでは?望月記者の質問制限で不透明な官邸取材への視線は厳しい。政権追及が一層弱腰にならないか心配だ。 https://t.co/Hk9WF1aPXg")。だが、私はこの見方こそ偏見に踊らされ偏向した姿勢が誤報を生み出す母体となっていると考える。実際何があったかについては、様々な場所で触れられているのでそちらにお任せしたいが(ハンセン病訴訟めぐる報道で朝日新聞が「訂正・おわび」…本当に”誤報”だったのか?なぜ間違えたのか?)、ここでも朝日新聞に恥をかかせたいというだけのことで総理が判断を変えたという意見はさすが論理が飛躍しすぎていないか。ハンセン氏病裁判への対応がそれほど簡単な判断だと言いたいのであろうか。正直、私には何を言っているのかわからない。憎さが募り過ぎて、正常な判断が出来なくなっているのだろうか。

 

 一般的にメディアがスクープを狙うのは、今も昔も変わらない。情報により稼いでいる以上、それが飯のタネなのだから。そして、だからこそ平時に乱を起こさなければメディアは大きく儲からない。特に、バラエティやスポーツで話題を代替できるテレビと違い、新聞にはそのバイアスが強く出やすい。スポール欄を見たければスポーツ紙を読むし、芸能欄も同じである。また、昔から記者の機動力ではテレビは新聞に後れを取っており、速報性ではテレビの方が勝っている。この関係に雑誌記者が加わるが、信頼度の面でテレビと新聞には大きな優位があった。

 どちらにしても、現状の一般紙である新聞はかつてほど万能ではなくなった。それは社会環境が変化したからである。インフラとしてのネットの発展、そしてSNSに限らない個人情報の発信が可能になったこと。テレビよりも機動的に情報を発信可能なネットメディア。

 最大のポイントは、こうしたメディアがかつての栄華により高給取りになっていること。要するに、他者からの追随を抑え自分の身分を守らなければならない状況になっていることがある。圧倒的な強さを誇れた時代ならともかく、今後それは回復できないであろう。

 

 そして、深さでは専門家の発信するブログに負け、速報性ではテレビやネットに負ける。とすれば、勝つためには新し良い何かを振り起こすこと。それこそ、個人的なジャーナリストたちがやってきたことである。今回の誤報は、関係者との信頼関係を確立できなかったことに加え、何らかの理由による勇み足が原因だったのは間違いない。

 メディアが権力の監視をするということ自体は否定しないが、監視をするが故に何でも許されると思うのは大間違いである。権力にすり寄れば良いのではなく、権力がその活動を認めざるを得ないほどの成果を上げることが何より重要である。

 正直、東京新聞の望月記者を持ち上げているレベルのメディアやジャーナリストでは、私からすれば尊敬に値する能力や価値があるとは思えない。

 

 私には鮫島記者の主張は、「俺をもっと尊敬して、俺に言うことをもっと認めろ!」と海に向かって叫んでいる様にしか見えない。そんな後姿を、多くの国民はしらけた目で見ているのではないか。

 今回の誤報が何かの全てを決めるとは思わないし、巨大企業である朝日新聞不動産が容易に倒産することも無いだろうが、じりじりと進む新聞の凋落の一シーンを見ているように感じるのは私だけだろうか。