Alternative Issue

個人的な思考実験の、更に下書き的な場所です。 自分自身で消化し切れていないことも書いています。 組織や職業上の立場を反映したものでは一切ありません。

人がエルフに変わる時

 エルフとは、ファンタジー系の小説に出てくる存在であるが、ゲルマン神話に起源を持つ妖精とされる(エルフ - Wikipedia)。妖精は西洋の概念ではフェアリー(妖精 - Wikipedia)という架空の生物に分類され、エルフもそこに含まれる一つの形である。東洋では妖精とは妖鬼的なものとして、どちらかと言えば怖い存在として扱われることも多いようだ。イギリスの伝承では小妖精とされることもあるように小さな存在とされるものもあるが、一方で人間に似た神として描かれるものなどこれといった決まりがある訳ではない。他にも妖精としては、ノームやピクシー、ゴブリンやトロール、そしてコロポックル等、良い妖精・悪い妖精もいるとされる。近年の異世界小説では常識として登場するこれらの存在ではあるが、そのキャラクターは伝承を基に過去から数多く存在する小説たちによって積み上げられ、創り上げられてきた。特に、J・R・Rトールキンの「指輪物語指輪物語 - Wikipedia)」からエルフが人間と同じような一種族として描かれたという話は良く知られている。

 こうした種々の設定を経て、いつしかエルフについては耳が長く、魔法を用い長寿(あるいは不死)であるというのが一般的な設定となっている。ちなみに、女性エルフの胸が小さいという設定は水野良の「ロードス島戦記ロードス島戦記 - Wikipedia)」からであったという説も聞くが、正確なところはわからない。どちらにしても、エルフ、ダークエルフ、ハイエルフなど様々な派生キャラクターが生み出されており、特に日本の小説・漫画界における広がりは大きいのではないかと思う。こうしたキャラクターイメージが広がれば、逆に西洋の認識を変えることがあるかもしれない。

 さて、ところでここでは小説のキャラクターを議論しようというのではない。現在、人類の寿命は概ね120歳程度が限界とされている(人間の寿命の限界は115歳(くらい……かもしれない) - BBCニュース)。寿命に限界がある理由として寿命がテロメアテロメア - Wikipedia)により規定されているという説(生命の不思議“テロメア” 健康寿命はのばせる! - NHK クローズアップ現代+)もあるが、両者は無関係とする説もある(|健康長寿|)。一方で、標準的な寿命は本来55歳程度ではないかという説を唱える人もいる(ヒトは本来、何歳まで生きられるのか 人間の寿命の謎を小林武彦・東大教授に聞いた:朝日新聞GLOBE+)。だが、長寿あるいは不老不死へ渇望は秦の始皇帝の時代から何も変わらない。実際、誰もが求める若返りや寿命を延ばす研究は様々な場所で行われており(人間の寿命に限界はあるか? - WSJ)、マウス実験ではあるものの既にNMN(「NMNについて関係者、消費者が知るべきこと。」 | 新興和製薬株式会社)を与えることで明らかな効果が見られたという報道も数年前に行われていた(若返り薬「NMN」が、超高齢化の日本を救う:日経ビジネス電子版)。仮に完全な若返りまでは行かなくとも、老化を大きく抑制できるとすればビジネスチャンスとしては計り知れない。現状の120歳限界説を超えて人が生きるとすれば、しかもそれが元気であるとすれば、これまで構築されてきた社会は全く姿を変えることになる。

 ここから行うのは、人類の寿命が何らかの技術革新により大きく伸びることを仮定した議論であって、それがなければ考える必要はないものである。もちろん子供を産むための年齢限界はあるだろうが、これらも精子卵子の冷凍保存技術(医療法人社団愛育会 福田病院卵子凍結保存 - Wikipedia)は既にあり、さらに人工授精(人工子宮等:人工胎盤や人工子宮、生殖技術は人間を「消滅」させるのか WEDGE Infinity(ウェッジ))の進展・普及により人が妊娠から開放されるのはすぐに来る未来かも知れない。人は物語の中で創作されたエルフのように長生きをする。例えば小説に良く用いられるエルフの設定にはいろいろとあるが、その一つに退廃的で保守的というのがある。あるいは精神年齢が成長に伴わないというのもある。身体的には長寿でも、精神的にそれに追いつかなかったり、あるいは先に擦り切れてしまったり。これらは小説家たちが考えてきた設定であるが、本当にそうなるだろうか。

 まず前提条件がいろいろと問題になる。人類すべてが長寿を享受できるのか、あるいは一部の特権階級のみがそれを享受できるのか。仮にすべての人類が長寿となった場合には、確かに人々の成長は遅くなり、あるいは保守的で退廃的になる可能性は少なくないだろう。確実に長寿であるのであれば、あるいはいつまでも若いままでいられるとすれば、慌てて成長する必然性が薄れていくことは間違いない。例えば、日本では大学生というのは10代後半から20代前半が普通と認識されるが、世界的には大学生の平均年齢は20代半ばとされる(海外の大学・大学院の入学平均年齢|世界平均22歳!進学・留学は何歳からでも遅くない! | HAPPY BANANA 2018-05-04)。兵役や働いてお金を貯めてから大学に通うケースもあるが、複数の学部を渡り歩くこともあり、特に高等教育が無償化されている国ではその傾向が高いのではないかと考える。複雑化する一方の現代社会、学びについても長期化する傾向があるように思える。急激ではなく長い年月をかけての変化だと思うが、実質的な成人の時期が遅くなっているのは間違いなかっろう。江戸時代の元服は数え年で15歳程度である(元服 - Wikipedia)。人の寿命が短ければ成人の儀式は早くなり、仮に伸びたとすると100歳で成人なんて状況が発生してもおかしくないのである。

 一方で多額の費用が必要で、一部の金持ちしか享受できないとすれば、社会分断が成立するだろう。松本零士氏(松本零士 - Wikipedia)の銀河鉄道999に出てくる機械の体(機械伯爵 (きかいはくしゃく)とは【ピクシブ百科事典】)とイメージは近い。その差が貴族と平民のように位置付けられるかどうかはわからないが、こうした分断が長期間継続すれば長寿の秘法を持ったエルフ族のように一般の人たちと分離していくことになるかもしれない。ただ、少なくとも社会階層化が誰の目にも明らかになるよう進むのは間違いないだろう。

 どちらにしても、人の寿命が長くなれば(しかも若い時期が長くなれば)子供設けようという積極的な意思が希薄になってくる。何せ自分がなかなか死なないのである。自分のコピーを作り出し育てる必然性が薄れるのは当然と言えよう。仮にそうなれば、現状ある婚姻制度もほとんど意味を持たなくなる。子孫を残すための必然性と維持するためのシステムが一度崩壊してしまえば、おそらく修復は不可能になる。だが、技術的にはデザイナーズベイビーを生み出すことは容易であり、却って命の値段は人口減少しながらも下がっていきかねない。命をつなぐ概念が崩壊すれば、子供は社会的な荷物になるかもしれないのである。もちろんそれは極論だが、都会の保育所建設反対運動などを見るにつけ、現在の長寿命化すらそうした社会を育んでいるのではないかと想像してしまう。

 また、長寿命化は働く意欲を失わせる可能性もある。死ににくくなるかどうかはわからないが、家族を養う義務感から離れられることを多くの人は喜ぶのではないだろうか。現代でも、結婚年齢がどんどんと遅くなっていることは既に知られているが、その多くは自分の人生を満喫するためである。自分一人だと考えれば、あたかも生き急ぐのかと思わせるような情報化や激しい仕事を求めるのではなく、のんびりとした人生を送りたいと思うようになってもおかしくない。断捨離(断捨離 - Wikipedia)ではないが、小説の中にあるように森に生きるようにはならずとも、社会において関わりを絶って最小限で生きようとする可能性は否定できない。

 現代社会では孤独が大きな問題とされるが、SolitudeとLonlinessに違いがあるように、主体的な孤独を選ぶことは難しくはない。SNSという仮想のつながりさえあれば大丈夫だと考えると、働かない選択も長寿命化が生み出しているようにすら思えてしまう。

 ここまで書いてきたことは私の勝手な妄想に過ぎないのだが、私たちは既にエルフと言う空想上の存在に近づきつつあるのではないか。社会のいろいろな現象を見るにつけ、ふとそんなことを考えてしまった。