Alternative Issue

個人的な思考実験の、更に下書き的な場所です。 自分自身で消化し切れていないことも書いています。 組織や職業上の立場を反映したものでは一切ありません。

萌え看板

 あけましておめでとうございます。本年もよろしくお願い申し上げます。
また、永らく更新が行われず、大変申し訳ございません。ちょっとハードな日々を送っているため、まだ当分の間は頻繁な更新は出来そうにない状態です。ご容赦いただけると幸いです。

 さて、近年「萌え絵」が市民権を獲得しつつあり、自衛隊の募集ポスター(http://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/1793239.html)から地域おこしのキャラクターに至るまで実際のアニメのキャラクターだけでなくオリジナルも用いられている。そこでは、色気を押し出し過ぎとして物議を醸しだしたケース(http://www.asahi.com/articles/ASHC54QS7HC5OIPE018.htmlhttp://togetter.com/li/906145)もいくつかあるが、こういうことが話題になるのは萌え絵がサブカルの存在から、市民権を獲得しつつある過渡期であるが故に起こっていることなんだろうと思っている。

 町おこしにイメージキャラクターを使用するという動きは、人気アニメの聖地巡礼あたりから始まって進んできたものだと思う。アニメよりも漫画家の価値の方が抜けてはいるが「水木じげるロード:http://www.sakaiminato.net/site2/page/guide/point/miru/mizuki/mizuki/」、なども町おこしの強力な核として認識されているのはわかる。単なる記念館を作るのではない活用の仕方であろう。
 ただアニメの聖地づくりなどは、爆発的な人気を誇る作品がなければ成立しない。ところが最近は深夜アニメの乱造もあってか、大ヒット作品が徐々に減少しているのではないかと言う話もあるようだ。それでも根強い人気を誇るのだとすれば、儲からないと言われつつも日本という社会に一定以上のポジション終えたという話でもあろう。

 ところでこうしたアニメ全体ではなく、「萌え絵」と言う文化が別途広がっている。可愛らしい・時に色気すら感じられる2次元キャラクターで、絵師と呼ばれる人たちが日夜制作を続けている。お米にも(http://umaikome.jp/shouhin/kome/moeminori.htmlhttp://matome.naver.jp/odai/2135081634850798201)、食品類にも(http://gigazine.net/news/20130306-foodex-japan-2013-moe/)、電化製品のプロジェクトにしても(http://japanese.engadget.com/2011/07/07/moekaden/)、ありとあらゆる場面で萌え絵が用いられている。
 擬人化キャラと言うことで、最近では艦コレ(http://www.dmm.com/netgame/feature/kancolle.html)をはじめあらゆる世界に、同じような事例が広がっている。正確に言えば、どれが萌え絵でどれが違うかといったジャンル分けもあるのだろうが、そこまでは正直よくわかっていないので許してほしい。

 さらに面白い話として、工事現場の立て看板までが萌え絵を持ち始めているという話題があった(http://togetter.com/li/921577)。実際に、パッケージに有名な絵師の作品を使用したところ、売り上げが上昇したという話もあるようで、こうした利用が鼻で笑えるような存在でないのは明らかだと思う。
 所謂4Kなどと揶揄される、土木系のイメージアップに利用されているのは、自衛隊の募集ポスターと似た動きだが、逆に考えればそれが悪いイメージを与えていないということになる。
 昔の日本であれば、あるいは今の欧米であれば、カトゥーンに対する評価はそこまで肯定的ではないし、なかった。しかし、現状を見る限り日本社会の認識が普通に日常に置いてそれを受け入れる状況に来ていることを示しているのであろう。

 以前にも触れたことはあったと思うが、今は閉鎖された場末のゲームセンターの強烈な萌え絵(言葉の方が凄い)が話題となったこともあった(http://matome.naver.jp/odai/2141277470688011501)。これなどは、絵柄自体は既に社会的な地位を得ているからその先に一歩踏み込んだスタイルであるとも考えられる。
 果たして、工事現場における萌え絵にどの程度の効果がるのかはわからないが、それを期待する雰囲気がある、あるいはそれがごく普通の日常に変わりつつあるという気がし始めた。
 所詮は、一部の好きな人たちのみが取り上げていたものであったはず。知らなければ出会うこともあなかったもの。これからは、堰を切ったように社会に溢れ出るのかもしれない。