Alternative Issue

個人的な思考実験の、更に下書き的な場所です。 自分自身で消化し切れていないことも書いています。 組織や職業上の立場を反映したものでは一切ありません。

震災の教訓

 さすがに20年目の節目ということもあって昨日や本日のニュースには、阪神淡路大震災に関する報道が数多く見られた。当時小さかった子供たちもすっかり成人し、震災の記憶も一部には残っているかもしれないが、かなり薄れているのが実情であろう。
 私の親族も建物全壊の被害にあったが、震災後一定の時間を経たのちから親族とよく話たことは「記憶を思い出させる報道は当事者の忘れたいという希望を無視している」という内容だった。この考えに異論があるのは承知しているが、正直記憶を呼び戻そうとさせる報道は無い方がましだと何度も感じたのは事実である。
 もっとも、「やめろ!」と叫ぶほど切羽詰まったものでもなく、一部のヒューマニズムを気取った人たちなどが自己満足のためにやっているものだから、放っておけばよいと感じる程度である。悲しみや悲嘆を再度咀嚼しても何も生まれてくるものはわずかである。結局、それを断ち切り新しい一歩を切り開いて行くしか術はない。

 確かに、阪神淡路大震災東日本大震災に限らず、大きな自然災害は様々な悲劇をもたらす。こうした悲惨さは当事者以外には悲しい出来事として共感可能であり、多くの援助や義捐金は被災者に役立ったことは間違いない。ボランティアの力も大きく寄与した。
 その状況を正確に伝えることはメディアの責務として大切であるし、復興の状況を明らかにして問題点を問うことも意味がある。ただ、震災後どの程度経ってからだろうか。ひょっとしてメリットよりもデメリットが大きくなったのではないかと感じる気持ちが強くなっていった。
 曖昧な記憶で恐縮ではあるが、おそらく震災後3年程度を経過した後ではないか。この感じ方も人によりそれぞれではないかと思う。東日本大震災では復興の目途すら立ってないところも少なくなく、私が思う時間経過とは異なる可能性も高い。

 ただ、忘れるという個人が持つ大きな権利に対してメディアが無頓着であることには前々から気になっていた。例えば報道で非常によく見かけるフレーズに「震災の教訓を生かして」というものがある。あるいは「受け継ぐ」とか「心に刻む」とか言い回しは数多くあるが、そもそもこの「震災の教訓」とはいったい何なのだろうか?
 行政的には、防災システムがどうあるべきかとか、法制度をどのように整えるかという教訓とすべきことは数多くあろう。ただ、一般市民として「震災の教訓」とはいったい何なのだ?あまりに気軽に用いられているために、私たちは何か重要な「震災の教訓」があったように感じているかもしれないが、正直言えば一個人レベルで感じるある種普遍的な教訓は一つしかない。
 それは、「いつ何が起こるかわからない」ということだけである。おそらく、それに対する備えはある程度可能ではあろうがだからと言って完璧はない。震災の時の助け合いは教訓とせずとも行えた。もちろん、そうあるべきと後世に残すことには意味があるが、これは伝えても駄目である。普段の生活の中から思いやりや助け合いを掴みとっていなければならないのだから。
 NPOの活動やボランティア活動など、助けるための仕組みを教訓という人がいるかもしれない。ただ、私はそこで生まれるシステムは教訓ではないと思う。あるいは心構えを後世に伝えるのが教訓だとする人もいるかもしれない。本当にそうだろうか。

 結局のところ、想定をはるかに超える出来事が生じてしまっても、騒がず恐れず腐らず、やれることをきちんとやっていく。もちろん失敗もあろうし、予想通り上手くいくとは限らない。それでも、前を向いて生きていくしかないのだという事しか思い当たらない。
 永らくの仮設暮らしが大変な事情は、私の親族も10年以上プレファブ暮らしだったので理解できる。資産があれば良い家を建てられるであろうが、それが叶わなければ仮設から出られなくもなる。ただ、それは誰が悪いわけでもない。
 そのことを受け入れた上でどのように生きるかが重要なのであって、仮設であるからどうであるという話ではない。ところが、多くのメディアは仮設であるという表面上の問題をことも大げさに語ったりする。
 私たちは自然の中に生まれ暮らしている。だから時に一人では如何ともしがたい運命が訪れることもあるかもしれない。しかし、同じような(あるいはそれ以上の)悲惨さは実のところ社会には満ち溢れている。震災という都合の良いエポックであるが故の悲惨さの強調には心動かされないのは、そこにあるのかもしれない。

 繰り返しになるが、震災の教訓など実のところ大してありやしない。なぜなら、前向きに生きていく方が良いのは震災であろうがなかろうが関係ない普遍の法則だからである。